敗訴が生んだ「独禁法」前進

2019-02-26 10:37:43

 ある夏の夜、旅先の内蒙古の草原で満天の星を見上げ、ふとカントの「この世に人心を大いに揺り動かすものは、わが上なる星の輝きとわが内なる道徳律」という言葉を思い出した。「道徳律」とはわれわれの行為を規範化する法律である。中国では法治化が進み、人々の順法意識も高まっている。このコラムでは、きらめく満天の「法」の中から、時代を映す「道徳律」を読み解いていきたい。

 現在、多くの外国企業が中国に進出しており、それに伴い法的な紛争に対処すべき場面も増えてきている。一方、中国では、より良い民事訴訟制度の構築を目指して法改正が行われている。そうした中、環境汚染や食品の衛生と安全、消費者権益の侵害のような不特定多数の一般民衆、または社会全体の利益を害するような行為について、侵害行為の差し止めや損害賠償を求める「公益訴訟」制度が導入された。また、次々と制定される法律、特に独占禁止法や不正競争防止法などの経済法の施行に伴う民事訴訟が現れ始めた。中でも独占行為により生じる民事訴訟は、この時代の特徴を反映する代表的なものだ。

訴訟目的は社会の関心提起

 中国では、多くの訴訟が弁護士など法律の専門家が原告となって提起されている。しかし、その訴訟の目的は自身の権益を保護することではなく、法律施行の具体的な規則や適用基準を探ったり検証したりして、社会の関心を呼び起こすことにある。従って、このような訴訟提起は法律が施行されて間もない時期によく見られる。この点は、特に中国の「独占禁止法」の施行において端的に表れている。近年では、法律の施行から時を経るにつれ、弁護士などの法律の専門家が原告として提起する訴訟は減少し始めている。むしろ正真正銘、自身の権益を保護するために提起する訴訟、つまり、独占行為による被害者が自身の権益を保護するために独占行為の差し止めを請求する訴訟が増加してきている。

 とはいえ、独禁法に関わる民事訴訟を消費者が提起することは現在ではまだ珍しい。というのも、買い物のときに少しぐらい高く買ってしまっても、大抵は運が悪かったと諦めるからだ。ましてや消費者が独禁法の執行機関が発行する行政処罰決定書を根拠として裁判所に訴えを提起し、企業に対し損害賠償を求めるなどというのは、ごくまれなことである。

粉ミルク1缶の賠償訴訟

 以下の北京の田氏は、そのような訴えを提起した1人である。彼は、2013年2月に北京カルフールでアボット社(以下、「両社」という)の乳児用粉ミルク1缶を購入した。その一方、同年8月、国家発展改革委員会は、アボット社が契約による約定、価格管理、利益還元などの方法により、川下の事業者(例えば北京カルフール)の第三者への転売価格を維持し、これにより市場競争を排除・制限して消費者の利益や社会公共の利益を損なったとして、「処罰決定書」を発行した。

 これを知った田氏は、同処罰決定書で認定された両社の違法な価格独占協定により、アボット社の乳児用粉ミルクを不当な高価格で購入することを余儀なくされ、自身の利益が損害されたとして、自身が乳児用粉ミルク購入時に余分に支払った1044元の賠償を求めるとともに、合理的な範囲の権益保護費用3000元を負担するよう訴えた。

 しかし、田氏の訴えは、一、二審ともに判決で、田氏が両社間に垂直的価格独占協定が存在したことを立証できていないとして棄却されてしまった。

 本件の焦点は、田氏が国家発展改革委員会の処罰決定書を根拠として立証を行うことができるか否かという点であった。実は、本件において田氏が根拠とした処罰決定書では、アボット社が価格独占協定を締結していた旨は明記されていたものの、どの会社と価格独占協定を締結していたのかは言及されていなかった。従って、田氏が処罰決定書に記載されている「アボット社が転売価格を維持する独占行為を実施した」という事実のみを根拠として、「田氏に商品を販売した北京カルフールが転売価格の維持行為に関与していた」と証明することはそもそも不可能であり、このため「独占協定により利益が損害された」という主張も成り立たない。だから、裁判所は一、二審の判決ともに、田氏が両社間に独占協定が存在したことを立証できていないと指摘し、請求を棄却したのだ。

立証義務の改善つながる

 しかし本件により、民事訴訟において、原告が独禁法の執行機関に訴訟に関連する資料の公表を申請したり、裁判所が独禁法の執行機関から関連資料を取り寄せたり、または原告や裁判所の請求に応じて、同執行機関が証明資料を発行したり、証人を派遣して証言させたりすることができるのか否か――という問題が注目されることとなった。

 本件は消費者(原告)の敗訴という結果に終わったが、上記の問題が提起されたことで立証義務の改善につながり、独占禁止法上の保護は一歩実質的な前進を遂げた。

 

弁護士 鮑栄振(ほう・えいしん)

北京市の環球法律事務所のパートナー・弁護士。1987年、東京大学大学院で外国人特別研究生として会社法などを研究。中国政法大学国際環境法研究所研究員、同大法律碩士学院客員教授、中国法学会弁護士法研究会理事、中日民商法研究会副秘書長等を務める。

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