漢字の落とし穴

2019-02-26 10:58:51

文=劉徳有

日本人も中国人も同じ漢字を使っているため、いろいろと面白い現象が生まれている。

漢字はもともと中国から日本に伝わったものだが、日本人は生活の中で知らず知らずのうちにこれを外来のものと見ないで、日本の文字の一部のように勘違いをしている人もかなりおられる。1955年の冬のこと。通訳として、中国の有名な文学者、歴史学の大御所・郭沫若氏に随行して日本を訪問したとき、郭先生は早稲田大学の学生を前にして漢字についてこんな話をされた。

大正3(1914)年、日本へ留学に来た当初、もちろん日本語は話せない。田舎へ行ったとき、あるおばあさんから名前を聞かれ、漢字で自分の名前を書いたところ、おばあさんはびっくりして、「中国から来たばかりで日本語が分からないのに、漢字で自分の名前が書ける!」と言ったそうだ。それには、郭氏の方がびっくりしてしまった。

最近の例では、中国旅行に来た日本人が、街中で漢字で書かれた看板や新聞の見出しを眺めて、「外国に来た感じがしないなァ」と親しみを覚える。あるいは、日本を訪れた中国人が東京などで漢字ののれんを目にしたり、漢字混じりの新聞を拾い読みしたりして、「中国と日本はやっぱり悠久の歴史を持つ隣人同士だ」と日本を理解したような錯覚に陥る。そんな光景が見られるのは、両国が共通の漢字文化を持っているからだと思う。

ところが、見慣れた文字だからといって、なまじ、漢字だけで意味を判断しようとすると、とんだ失敗を犯しかねない。つまり、“落とし穴”があるのだ。

一例を挙げてみよう。中国にやって来た日本人が必ず目にするのが「飯店」と名の付く建物。「飯店」とくれば、日本人が中華料理店を連想するのはやむを得ない。

 

中国で「飯店」は、ホテルを指すことが多い。例えば「北京飯店」は有名な国際ホテルの名前である(TOBEE  BEIJING)

しかし、中国で「飯店」はれっきとした近代的ホテルの名称であることはご承知の通り(もっとも、中国の辞書には「ホテル」の意味の他に「料理屋」の意味もあると書かれているから、あながち、日本人が食べ物屋と思ってしまうのも一方的な間違いとは言えない)。

そもそも、改革開放前の中国には「飯店」の看板を掲げた建物などほとんど見あたらず、首都・北京を例にとっても、飯店と名が付いていたのは「北京飯店(北京ホテル)」など、一、二カ所ぐらいしかなかった。

ところが、近年すっかり状況が変わった。主要都市には高層ビルが立ち並び、「飯店」の数は年々急増している。明らかに2008年の北京オリンピックのときの「ホテル建築ラッシュ」によるもので、これは地方都市でも似たり寄ったりの状況だが、中には「大飯店」と銘打ったホテルもあり、これは、さしずめグランドホテルといったところだろうか。

日本人が中国の漢字を見て失敗するように、日本に来た中国人が漢字で失敗することもまた多い。

しばしば起こるのが、片仮名や平仮名が読めないので、漢字の拾い読みをして、独り合点するという失敗。

漢字の拾い読みで、誤解を生んだ実話を一つ。

一昔前、日本語の話せない中国人が東京でタクシーに乗り、運転席の後ろの「毎度ご乗車有難うございます」という文字に目を留めて、思わずギョッとした。

なぜだろうか?

平仮名の分からない彼に「毎度ご乗車有難うございます」は「毎度乗車有難」としか読めなかったからだ。これは中国語では、タクシーに乗るたびに「有難」、つまり災難に遭うという意味になってしまう。

「そういえば、日本は交通事故の多い国だと聞いていたし、乱暴な運転をするドライバーも多いらしい。日本でタクシーに乗るということは、災難に遭うのを覚悟しろということなんだな。これは困った。車を降りたいが言葉も通じないし、ええい、ここはもう運任せで目的地まで行くしかない」

そう観念した彼は、緊張のためコチコチになりながらタクシーに乗り続け、無事、目的地に着いたときには、全身汗びっしょりになっていたという。

また、日本人の大好きな「挨拶」だが、日本人は顔を合わせると、「お暑いですネ。お変わりありませんか」と時候の話で始まり、手紙を書くときは、書き出しの「挨拶の言葉」をどうするか、あれこれ気を使う。昇進、転勤は言うに及ばず、海外駐在ともなれば、出発前や帰国後、関係者に直接会うか、もしくは書面で「挨拶」するのが当たり前、と聞いている。

宴会やパーティー、会議では、冒頭に「挨拶」が付きもので、これがなくては何も始まらない。中国人が人前で行うのは「挨拶」ではなく、「講話」とか「致詞」で、そもそも、「挨拶」は中国人にとってあまりなじみのない字面なのであり、付け加えれば、ちょっと困った漢字なのだ。

こんな話がある。

 

伝統演劇で、昔の女性が「拶指」の刑を受けている場面(People's China)

中国作家代表団が日本を訪問し、歓迎会に出席したときのこと。団長の馬烽氏は山西省の出身で、初の日本訪問であり、会場で当日の式次第を何気なく目にして、腰を抜かさんばかりに驚いた。そこには「馬烽氏挨拶」と大書してあったからだ。

実は知識層の中国人が「挨拶」の2字からイメージするのは、古代中国の「酷刑」、つまり拷問刑である。

中国語で「挨」とは「受ける」の意味であり、「拶」は刑罰の道具を指す。その昔、中国には五つの小さな木片をくくったものを犯人の指に挟んで締め付けるという、いかにも痛そうな「拶指」という拷問刑があった。中国の教養人が「挨拶」の2文字から連想するのは、まさにこの「拶指」の刑なのであり、「馬烽氏挨拶」となると、馬烽氏が指を思いっきり締め付けられることになってしまう。これでは初来日の馬烽氏が慌てるのも無理はない。

「えらいことになってしまったわい」

大いに動揺した馬烽氏。会場の雰囲気は極めて友好的で、いくらなんでも自分が危害を加えられるなどとは考えられない。そこで、恐る恐る隣の通訳嬢に「挨拶」の意味を聞き、それが中国語の「講話」「致詞」に当たると知り、ようやく、安堵の胸をなで下ろしたとか。

 

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