どこでも弁解の余地なし

2018-06-19 14:55:15

  査一路=文  砂威=イラスト 

 私と分室の張さんは農村に実地調査に出かけた。行き先は貧困地域で、極めて貧しい家庭では子どもの1年数百元の学費すら納めることができないという。張さんと私は相談して、食事の問題は自分たちで解決し、人々を煩わせないことにした。そこで、「康師傅」のインスタントラーメンを1箱買い、2人の2日分の食事とすることにした。

 接待を受け持った副郷長は、テカテカと脂ぎった顔をしていた。お昼にわれわれがインスタントラーメンを食べると聞くと、顔を赤くして、「どんなに貧しくても、ご飯くらいは食べられます」と言い、その声に応えて一群の人々がどっと部屋に入って来て、声をそろえて、「そうです、そうです。インスタントラーメンなんてご冗談でしょう」と言った。私と張くんは弁解しようとしたが、人々は聞く耳を持たなかった。

 何も言えないまま車に乗せられ、また農村から都市近郊に戻って来た。なかなか高級そうなレストランを探し、中に入った。食べるものがあるどころでなく、かなりのごちそうで、ウナギやカニが出て来た。これらの人々は、客が来れば、彼らの「ごちそうへの食欲」が刺激されるのだという。実際には、お湯だけで食べられる「康師傅」でも、われわれは辛くてあつあつの食事を楽しむことができたのだが。しかし、私は彼らの気持ちも理解した。客人が来た以上、すでに食欲は刺激されており、人々の食欲に対する責任も果たさねばならない。

 午後にある村に着いた。ひそかに今回は「康師傅」が役に立つと思った。しかし意外にも、村長はそれを聞くなり極めて大きな侮辱を受けたかのように、「あなたがたは、われわれ農村の人間をあまりにも馬鹿にしています。それでは私のメンツが立ちません」と言った。われわれは釈明しようとしたが、村長は手を振り、その話はしないでくれ、われわれの村は貧しいかもしれないが、飲む物食べる物は都会よりも融通が利くと言った。なんと、村には接待のためのレストランがあるのだという。

 肩に「康師傅」の箱を担いで、村々を訪ね回ったが、それが役に立つことはなかった。この1箱のインスタントラーメンはもともと数人の子どもの1年分の学費にも匹敵するはずだった。しかし仕方なく、都会に戻る日の午前中、やはりそれらを担いで帰った。われわれは直接職場に行ったが、今度もまた釈明に苦慮するとは思わなかった。

 午後にトイレに行った時、トイレの個室で用を足しながら話す2人がいて、「あの2人もひどい欲張りだな。行ってたっぷり飲み食いしたのはいいとしても、貧困地域で何も持ち帰れなかったのか、人様のインスタントラーメンを1箱持ち帰ったそうじゃないか」と語るのを聞いた。

 

翻訳にあたって

 中国に行くと、あまりに人々が熱心にもてなしてくれるのに驚く日本人は多い。特に食事の際には、高価な食材を食べきれないほどたっぷり注文し、お金はびた1文たりとも払わせてもらえない。これは中国人同士でも同じで、そうすることでようやく自分の「メンツ」が立つのだ。どんなに貧しい人でもそれは同じで、下手に相手の懐具合をおもんぱかったりすると、相手を怒らすことになる。メンツにかけて、誰もが自分で勘定を持とうとするので、勘定書きの「奪い合い(これは文字通りの奪い合いで、はた目にはけんかかと思えるほどの激しい戦いだ)」が発生することになる。私はこの戦いで勝利したためしはなく、何度か全面的な敗北を喫した挙句、こういう場合は素直にごちそうになり、また別の機会に今度は自分から誘ってごちそうするほうがいいと思うようになった。こうした誘い誘われの繰り返しで、お互いの仲が深まっていくのが、中国風の交際術なのだろう。(福井ゆり子)

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