ついていない強盗

2019-05-08 20:26:53

廖鈞=文 砂威=イラスト

 

 私には警察官の友人がいて、彼がある物語を聞かせてくれた。

  市の郊外に学校があり、その学校へ行く道の途中に林があった。付近には人家は無く、そこで強盗事件が発生したことがあるため、夜にあえてその道を通ろうとする人はいなかった。

  しかし、ある日の夜、一人の農民が金を入れた袋を持ち、その道を通って学校に向かった。

  彼は強盗に遭った。強盗は彼の銭袋を奪おうとしたが、彼は必死につかんで放そうとしなかった。強盗はナイフを抜いて彼を脅したが、それでも手を緩めなかった。最後に強盗はナイフで彼の手を刺し、銭袋を奪い去った。

  強盗が遠くまで逃げないうちに、農民は後ろから追い付いて来た。彼はとても足が速く、追い付くと彼に抱き付いて放そうとしなかった。ちょうどその時、学校から1台の車がやって来て、車から降りて来た数人によって、その強盗は捕らえられた。

  友人は2本の指を出して、「彼がいくら持っていたと思う?」と聞いた。

 私は「2000?」と答えた。

  友人は違うと答えた。そこで私は再び「2万?」と言った。

 友人はまた違うと言った。私は驚いて、「20万? そんなにたくさん金を持っていたのかい? そんなに多くの金を持って夜道を行こうとしていたの?」と言った。

 友人は、「まさかと思うだろうけど、彼が持っていたのは200元そこそこで、その袋には、1元、2元、1角、2角といった小銭がパンパンに詰め込まれていたんだ」と言った。

 確かにそれはちょっと不思議だ。200元くらいなら、くれてやればよかったのに。取られたら取られたで構わないだろう。ナイフで刺されたのに、わざわざ追い掛けただって? 200元のために命まで捨てようっていうのか? その農民は頭がおかしかったんじゃないの?

 「それはまったく問題はなく、気は確かだったよ。僕が訳を尋ねると、こう答えたんだ。『これは私が毎日暗いうちから起き、野菜を担いで町に行き、飢えを耐え忍び、足を棒にして、声がかれるまで売り歩いて、ようやく稼いだお金なんです。なくなったらしょうがないなんて言えません。息子は学校に通っていますが、明日は地方での実習があって、お小遣いが足りないのを、父として放っておけますか?』。200元なんて多くの人からすれば取るに足りないお金だろうけど、この農民の父親にとっては、命懸けで戦うに値するものだったんだ!」

 友人は私に言った。「その捕まった強盗はがっかりした表情で、『必死になって銭袋をつかむから、でかい魚を釣り上げたかと思ったんだ。知っていれば襲いもしなかった』と言ったよ」

 強盗によれば、彼は学校の近くで何度も犯行を重ねたが、毎回成功していた。彼が襲ったのは全て学生で、町に遊びに行って遅い時間にようやく戻って来る学生は少なくなかった。彼がナイフをちらつかせて行く手を遮れば、みんなおとなしく持っている金や腕時計、携帯電話を差し出した。1人捕まえれば1000元とか800元とかになり、彼女連れのある学生にいたっては現金だけで1000元余りを所持していたという。

 友人が話を語り終えても、私は何か物足りなさを感じた。この話は平凡で、不完全で、訴求力がない。私は、「もし襲われた学生の中に、あの農民の子どもがいれば……」と言った。

 彼は手をたたいて言った。「はは、当てられたね。1000元もの現金を持っていた学生が、他でもない、あの農民の息子だったんだ」

 

翻訳にあたって

 親は子どものために苦労をしてお金を稼いでいるのに、子は親に感謝の気持ちを持たず、ぜいたく、わがままばかりであるというのはよくあることらしく、しばしば話題にされている。知人の中国人の子どもを観察すると、そこまではいかなくとも、大人の中にいることに慣れ、甘え上手な子どもが多いように感じる。文中の「磨破嘴」は、「唇が破れるほど繰り返ししゃべる」「口を酸っぱくして」という意味。この文章の場合、野菜を売るために必死に売り文句を口にすることなので、日本語の表現で一番近いのは、「声をからして」だろう。ただし、「声をからして」の意味に近い中国語として、「嗓子都说哑」という表現もある。(福井ゆり子)

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