年越しはどちらの実家で?

2020-01-22 15:53:17

 

安興海=文

鄒源=イラスト

 毎年春節(旧正月)が近づくと、彼らはいつも大げんかをする。どちらも一人っ子で、どちらも自分の実家で年を越したいと思い、かつ双方とも両親が数百キロ離れた都市に住んでおり、似たような条件なため、どちらも譲らないからである。その結果、毎回実家で年を越そうとするたび、話し合いから始まって、次第に口論となり、さらに腹を立てて口げんかとなって、最後には一方が険しい顔をしてもう一方に付いて行き、年を越すことになるのだ。

 また春節の時期が来て、年越しの話し合いになり、二人の冷戦がまた始まった。彼女はこっそり母親に電話し、里帰りについての不満をぶちまけた。彼はこっそり父親にショートメールを打ち、旧正月には帰れないかもしれないと言った。しかし、どのみちどちらかの家に行かねばならないのだから、けんかしたとしても、なんとか収まりはつく。

 鉄道のチケットを取る前日に、やはり彼が譲歩して「俺が明日親に電話して説明するよ。先に言っておくけど、来年は俺の家だぞ」と言った。彼女は喜んでうなずき、両親に知らせの電話を入れた。しかし、思いがけないことに父親は、「今年は家に戻るな。私の戦友一家が来るから、泊まる場所がない」と言うではないか。

 彼女はぼうぜんとした。その時、彼女はやるせない思いでいっぱいになった。自分が勝ったにもかかわらず、両親に拒絶されたのだ。電話をかけ終えると、悔しさに耐えかね、彼に訴えた。彼は表面では彼女を慰めながらも、心の底では喜んでいた。

 翌日、彼はまず鉄道の切符を予約してから、両親に実家に帰ると連絡した。しかし思いがけず、母は彼に、「二人で海南島のバカンスツアーに申し込んでしまった」と言った。

 彼は鬱々として家に戻り、買った鉄道の切符を取り出して、そのことを彼女に告げた。

 後に、彼ら二人はともに笑って、「私たちも彼らに面倒を掛けていたんだよ、毎回帰るたびにあれこれ準備しなければならないもの。今回は切符を買ってしまったし、自分たちだけで実家に戻って過ごそう、どのみち家は空いているんだし」と言った。

 買ったのは大みそかも押し迫る日の切符で、実家に着いたのはちょうど大みそかの朝だった。彼の家は1階で、小さな庭があったが、敷地に入っていくと、父がよろよろと椅子の上に立ち、対聯(赤い紙に縁起の良い対句を書いたもの)を貼っているのが遠くから見え、母が隣で椅子を支えながらセロテープを手渡していた。

 2日前に海南島に行ったんじゃなかったのか? 彼は早足で歩み寄り、父親に代わって対聯を貼ってから、文句を言った。父は母の顔を見て、ちょっときまり悪げに笑った。そして父は、「お母さんはお前たち二人がけんかして、年越しも楽しく過ごしていないから、このアイデアを思い付いたんだ」と言った。彼は目が湿っぽくなるのを感じた。振り返って隣に立つ彼女を見ると、とっくに目の回りを赤くしていた。

 夜、彼は彼女と相談し、旧正月休みが終わる前に、彼女の両親の家へと向かうことにした。

 旧暦の正月3日、彼らは車に乗って、彼女の家へと向かった。車が彼女の家に着いた時にはすでに夕方だった。彼女の家は3階で、扉を叩いて開けてもらうと、家の中は寒々としていて、彼女はいぶかしがって母に聞いた。「お父さんは? 戦友とどこかに行ったの?」

 母は気まずそうに笑い、「お父さんは一人で散歩に行ったのよ。戦友なんていないわ。あんたたちがけんかして新年を過ごすのを心配して、お父さんが考えたアイデアなのよ」と言った。彼女は「ママ」と言って母に飛びつき、涙をもはやこらえることはできなかった。彼は後ろに立って、目頭が熱くなるのを感じた。

 実は2日前にすでに二人は分かっていた。両親は永遠に自分たちよりもずっとよく考えていると。彼らの愛はとても純粋で無条件なもので、何の下心もなく子どものためを思い、子どもが喜ぶなら彼らはどんな大きな犠牲もいとわないのだ。だから、子どもたちのできることと言えば、ただ純粋に、より純粋に他者を愛していくことだけなのだと。

 

翻訳にあたって

日本よりも家族の絆が深く、旧正月を家族そろって迎えることこそ幸福の象徴であると考えられている中国では、この物語のようなけんかは多くの若い夫婦が経験しているものに違いない。自分たちが帰りたいという以上に、親が子どもの帰りを待ち焦がれているため、どちらの家にも必ず顔を出して義理立てしなければならない若夫婦もなかなか大変だとも言える。しかし、孫の面倒は祖母・祖父が見るものという風潮があるため、共働きが当たり前の中国の若夫婦にとって、親の存在は大きなメリットでもある。一方、日本人は老後に子どもの世話を受けるのは嫌だと言う人が多く、また、子どもの面倒をおばあちゃんに見てもらうのを嫌がる嫁も少なくない。そのあたりは中国人とは大きな違いがあると感じる。(福井ゆり子)

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