河南で見た地方幹部の若返り 新たな発想・手法で共に豊かに

2021-08-27 15:47:58

陳言=文

今年2月号の本コラムで河南省を取り上げ、うるう月や旧暦について書いた。6月、河南を再訪する機会があった。筆者が50年ほど前に上山下郷運動(文化大革命期に都市部の青少年を農村に送り労働に就かせた政治運動)で3年間暮らした修武県(県は日本の郡に相当)の他、同省各地を見て歩いた。

筆者が目にしたのは、現在、中国の農村に起きている巨大な変化だ。それにしても、なぜ農村が変わることができ、今後どうなるのか。河南に滞在した数日間、この考えが頭から離れなかった。

 

村長は青年、県長も若返り

河南ではまず、1969年に筆者が送られた大位村を訪れた。その後、近隣の氷菊小鎮、秦廠村、大南坡村、宰湾村、沙墙村、一斗水村を回り、さらに孟州市源溝村も訪れた。これほど集中的に村々を見て回るのは初めてだった。

どの路線バスも村まで直通だ。筆者が荷車を引いて大位村から修武県の市場まで行った当時は、片道で3、4時間かかった。今回バスに乗って、ちょっとうとうとしている間に十数分で大位村に着いた。この早さは想像以上で、道路わきの景色を楽しむ暇さえなく村に到着した。

日本では都道府県の知事や市町村長が地方行政を担っているが、中国では中国共産党の村党支部の書記や県党委員会の書記が全面的に責任を負っている。バス停で降りた時、30代とおぼしき人がそこで待っていた。互いに自己紹介し、彼が大位村党支部の書記だと分かった。筆者は目の前の若者を改めて観察し、これまでに会った村クラスの第一線の幹部に比べて20、30歳も若いと感じた。

次いで50年余り前の知り合いの名前を何人か挙げてみたところ、その書記は目を大きく見開き、驚いたように筆者を見つめた。「私は12小隊に配属されていました」という筆者の一言で、2人の距離は大いに縮まった。大位村の人口は4200人余りで、老人一人一人の状況もよく知っているので、筆者もこの書記に対して気楽に話し続けた。

現在、同村には製粉工場があり、これが多くの収入をもたらしている。筆者がいた当時、ロバを使って石臼を回転させ、トウモロコシやコウリャンを粉にひいていた。もし適当な家畜がいなければ自分たちがやらねばならず、それは苦しい仕事だった。

6月初めの農地はすでに一面黄金色で、農民の姿はほとんど見られなかった。コンバイン数台が1、2日で麦の収穫を終えた。風で地面に吹き倒された麦を見ると、コンバインでは難しいのかと思ったが、実際には難なく収穫していた。

沙墙村に行くと、村の入り口で20代と思われる女性が待ち受けていた。彼女も村の党支部書記だった。大学を卒業後に村にやってきて、すでに2年になる。同村は人口約2000人で、村にあるバスケットボール場では中高生がバスケットを楽しんでいた。筆者がいた当時、野良仕事で毎日へとへとに疲れ、スポーツなど考えたこともなかった。

一斗水村の村民が開削した洞窟を参観する前に、同地の洞窟開削記念館を見学した。われわれに同行していた修武県の党委員会書記は40歳過ぎぐらいで、米国のボストン大学で博士号を取得後、河南にやってきて十数年になる。

村クラスの幹部は20、30代になり、県クラスの指導層に30代が増え、県クラスの党委員会書記は40代で、かなり多くの若手が第一線の幹部の主流になっている。県クラスの重要ポストについている幹部の年齢はこのように若返り、筆者がかつての中国では見たことがない状況になっている。日本でもこうしたケースは少ないだろう。

河南と同じように、筆者は江蘇省や浙江省の地方でも、第一線の幹部の若返りを見ており、これが中国の農村に起きている大きな変化の重要な原因だと思った。

 

農業を熟知、次は商工業

北京に帰ってから、大位村のSNSメディア微信(ウイーチャット)のアカウントを見ると、農産品分野の情報が常に発信されていた。6月末はメロンのおいしい季節だが、eコマース(電子商取引)を通じて直接この村特産のメロンを購入できる。

筆者の下郷時代は、毎日市場に行くことはできず、週に1、2日出掛けられればいい方だった。今では、近代化されたビジネスシステムは言うまでもなく、農産品はeコマースを通じて全国に販売でき、農業は若い世代の党支部書記が掌握し、完全に様変わりしている。

大位村の近くに氷菊小鎮がある。修武県の雲台氷菊(薬用菊の一種)は中国では非常に有名で、十数㌶の農地に植えられている。日本の読者は菊花茶を飲む機会があまりないかもしれないが、中国では多くのレストランで選べる茶葉の一つになっている。氷菊の花を一輪コップに入れただけで、8杯飲んでもまだ菊の花の味がする。生産の全工程がグリーン管理され、ここの菊花の品質は通常の条件下で栽培された製品よりもずっと良く、生産者の利益も守られている。さらに、近代的な乾燥設備や保存方法によって、通年販売が可能になった。

筆者は国内の多くの地方に行っているが、その際、農村の民宿に泊まることが多い。今回、修武県に行った際も民宿を利用したが、当地の民宿は建物のデザインに農村スタイルの特長を生かすと同時に、食事と宿泊における衛生面と快適さに気を配っていた。とりわけ雲台山付近の民宿はそれぞれ個性があり、大型ホテルは逆に観光客の人気がなくなっている。同県は高品質の民宿に資金援助を行い、民宿全体のレベルアップを図っている。

 

修武県にある民宿「雲上院子」(写真提供・修武県党委員会宣伝部)

 

若い世代の新方式に希望

いくつかの村の党支部書記と話す中で日常業務について尋ねた時、彼ら第一線の幹部の目標が「共同富裕」(共に豊かになること)だということが良く分かった。

大南坡村では、これまで多くの若者たちが村を出て全国各地に出稼ぎに行っていた。今では、河南地方の伝統芝居が復活しつつあり、地方色豊かな文化を求める都会人がやって来て民宿などが活発になり始めている。若者も再び村々に戻り始めている。

農業生産が今日の中国の農村においても重要な使命であることに変わりはないが、農村部と都市部の違いがあるため、農村は民宿や地方の伝統芝居、eコマースなどを発展の源泉にし始めている。農村では若い世代の新方式により、共に豊かになるという目標の実現がますます必要になっている。

最近の中国の農村で見た、こうした若い村の党支部書記や県党委員会書記の姿、彼らの農村に対する理解度とその仕事の進め方、目標追求の決意に、筆者は新たな希望を見出した。

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