救済から「自力更生」の寒村へーー北京から来た「熱血」書記

2019-07-23 15:13:33

 

村人潘朝熙さん一家と談笑する姜海泉さん(左から2人目)

貴州省の黔東南ミャオ(苗)族トン(侗)族自治州にある丹寨県は、国家審計署(日本の会計検査院に相当)が分担している支援県である。県内にある甲石村は、丹寨県の県庁所在地から50離れ、狭く帯状に伸びた尾根伝いに七つの集落が散在する。

姜海泉さんは、審計署の国有資産監理検査局から20162月に甲石村に派遣され、200戸余りの村の「第一書記」となった。彼を含め各レベルの役所から選ばれた幹部は、貧困村の党組織の責任者として派遣される。彼らの主な任務は、貧困対策を推し進めることだ。任期は2年。182月、姜さんは任期を終えた。しかし彼は去ることなく、引き続き留任を申請した。理由は簡単だ。村への思いがあり、やるべき仕事もある――。

道を通し、電気を通し、ネットを通す

甲石村に着いたばかりのころ、姜海泉さんは途方に暮れた。「荒涼」。これが村の第一印象だった。出発前、この国家第1級(最も貧しいレベル)の貧困村に対する心の準備はできていた。しかし、目の前の光景は彼の予想をはるかに超えるものだった。

貴州省丹寨県の県庁所在地から甲石村へは、1時間半ほど土の道を行くが、しばしば山からの落石に出くわす。甲石村を訪れる人は、時間だけでなく、別の心の準備も必要だろう。村人の家はボロボロ。もちろん村にインターネットはなく、電気も不安定だった。村の幼稚園では、粗末な小さな丸イスを両端に置き、その上に板をかけて子どもたちが座るベンチにしていた。村の人心も落ち着かず、多くが都会へ出稼ぎに出ようとしていた。こうした状況を反映し、当地ではこう言われていた。「甲石村が貧困から脱却できるなら、どの村も貧困から抜け出せないという言い訳はできない」

村の状況を目の当たりにし、姜さんは不安に駆られた。しかし、歯を食いしばり、一つ一つ難題をこなしていった。道を通し、電気を通し、ネットを通し、水道などのインフラ施設も動き出した。村へ入る道はもともと村民の田畑だったが、買収の補償金が支払われず、道路建設の障害となっていた。姜さんは、ひたすら村人宅に通って協力を求め、説得し、道路建設による利害も説明し、少しずつ村人の信頼を勝ち取っていった。今年の初め、ついに村への舗装道路が完成した。続いて街灯やインターネット、ケーブルテレビ、水道も次第に整備され始めた。春節(旧正月)を古里で祝うため、出稼ぎ先から戻って来る村人たちは、古里の変わりようを見て大いに喜んだ。彼らは姜さんに感慨深げに言った。「オラたちの村には、街路灯の付いたコンクリートの道はいつできるんだって、出稼ぎに出ると思ったもんだよ。それが、たった1、2年で願いがかなうとは思わなんだよ」

幼稚園の改修は、姜さんが着任後わずか1カ月で行った仕事だった。当時、彼の愛娘は北京の幼稚園に通っていた。北京とは比べものにならない村の幼稚園を見て、姜さんの心は痛んだ。彼は早速、丹寨県の教育局からプロジェクト資金を獲得し、村人と協力して改修に取り掛かった。黒板などの教具を買い、おもちゃや本もそろえ、本当の子どもの楽園を作り上げた。姜さんは思う。教育は、貧困から脱却するための重要な手段だ。

 

2年の任期を終えても自ら希望して甲石村に留任した姜さん

 

自力による村の発展を望む

甲石村は230戸、1060人の住民を抱える。今では、村の隅々まで姜海泉さんは把握している。農家を訪ねる途中、道端の農家の家庭状況を記者が尋ねると、彼は全てよどみなく答えた。普段こうした農家の訪問は日が暮れてから訪ね、村人が畑仕事から戻るのを待って話を聞く。姜さんは終日多忙を極めていたが、どの農家でも常に家人と親しく雑談し意見を聞いては、どんな問題を解決してほしいのか聞いて回った。すべて終えたのは深夜だったが、姜さんはさらに報告書にまとめ、午前1、2時になってようやく休むというのが日課だった。記者が空いた時間は何をしているのかと聞くと、彼はしばらく思案して、「食事時に携帯電話を見るぐらいかな」と答えた。

姜さんが初めて農家を訪れたときは、ほとんど「何も話せなかった」という。彼は土地の方言が分からなかったし、農業や農村についても知らなかった。彼の農業栽培の知識や、農村産業の発展についての考えは、すべて甲石村に来て一から学んだものだ。

これまで甲石村の村人は、代々トウモロコシとコメを作ってきた。トウモロコシは家畜用、コメが食料だ。こうした経済状況では、村人は1年かけて自らの腹を満たすだけで精一杯だった。村人の勘定では、コメ1ムー(約0067)当たりの最大収穫量は500で、売ると1000元になった。しかし、コメは良い品種を選んでまき、肥料を与えるなど手がかかり、必要な農薬や労働コストを考えると1ムー当たり1000元はかかる。これでは村人は1年ただ働きするのと同じことだ。そこで姜さんは、作物を変えて収入アップを図ろうと考えた。

しかし、代々受け継がれてきた農作物を変えるというのは、簡単ではなかった。中国の農民には、「手に食糧があれば困らない」という伝統的な考え方がある。姜さんは多くの村人に、こうした考え方の転換を働きかけた。その結果、今では甲石村にはドラゴンフルーツの実験栽培場8棟が建ち、1ムー当たりの収入は約2万元に達した。今後は現地の農家に大きな収益をもたらすだろう。

このほか姜さんは、丹寨茶葉会社と掛け合い、村と提携して100戸余りの貧困農家が働ける茶葉基地を甲石村に建設した。

姜さんに言わせると、甲石村は貧困からの脱却が必要なだけではなく、引き続いて発展して行かなければならない。「世に終わらぬ宴会はなし、と言います。私もいつかはここを去る。そのとき村が自力で発展を実現していることを望んでいます」と彼は話す。そのために、彼は村の幹部たちを引き連れ、各地に視察に行っている。貴州省周辺の町村から広西チワン族自治区や雲南省の山村まで、彼らは多くの足跡を記した。

今年の中秋節。やはり姜さんは家族との団らんを果たせなかった。「残念ですけど、後悔はありません。友人たちに仕事の状況を微信(ウイーチャット、中国版LINE)のモーメンツで知らせているし、家族にも村の変化を見せています。みんなも少しずつ分かってくれています」(莫倩=文 王蕾 王蘊聡=写真)

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