奈良発 令和最初の「遣唐使」

2019-10-06 19:55:44

 

文=呉春蘭 写真提供=奈良県国際課

「奈良県友好交流を担う次世代養成事業」(以下、「次世代養成事業」)の一環として、948日に奈良県国際課の杉村和彦課長補佐をはじめとする奈良県の職員3人及び若者6人の計9人が陝西省、揚州市、上海市を訪問した。参加者は陝西省にある阿倍仲麻呂記念碑や大雁塔、揚州市にある大明寺など奈良とゆかりの深い名所を訪れたほか、陝西師範大学や揚州大学の学生と交流した。また、陝西省の家庭にホームステイし、中国人の一般的な日常生活を体験した。

 

大雁塔前で9人そろって記念撮影(撮影者:沈新偉)

「次世代養成事業」は、2011年に奈良県と陝西省の友好提携締結後の13年から実施されている友好交流事業で、今年で7回目となる。奈良県の若者の国際性を高め、海外との友好交流を担う次世代の養成を目的とした国際交流プログラムだ。この事業は奈良県の若者に非常に人気があり、多数の応募があるため、参加者は筆記試験と面接により選定される。

 

1000年以上もの深い縁

日本の奈良時代は中国の唐代(618年~907)と重なっており、当時の先進国だった唐の文化や制度などを学ぶために、日本は多くの遣唐使を派遣した。奈良で生まれ、第9次遣唐使に選ばれた阿倍仲麻呂はその中でも最も優れた代表者の一人だ。彼は唐の官僚登用試験である「科挙試験」に合格し、高い地位に就き、長安で生涯を終えた。彼が故郷の奈良や三笠山への恋しさを込めた詩は、今でも日本で広く詠まれている。

首を翹(あ)げて東天を望めば

神(こころ)は馳(は)す 奈良の辺

三笠山頂の上

思ふ又た皎月(こうげつ)の円(まどか)なるを

 

阿倍仲麻呂の故郷である奈良の三笠山の麓から来た若者たちは、1300年以上前にさかのぼかのように、阿倍仲麻呂記念碑の前で先人の話を聞いた

玄奘の弟子になった日本人の道昭は、玄奘三蔵師から授かった多数の経典を日本に持ち帰った。これらの経典は、日本での仏教の普及に大きく貢献した。玄奘三蔵の弟子である慈恩大師によって、奈良の薬師寺で開創された法相宗は、玄奘三蔵を創始者としてあがめている。陝西省と奈良の歴史的な縁は確かにとても深い。

参加者の日山実乃里さんは、「西安は平城京や京都の都の手本になったとされるきれいな碁盤の目が今でも保たれており、日本との深いつながりを感じました」と語った。

 

 

中日学生が地元を紹介

「中日青少年交流推進年」の今年、そしてこの事業においても、中国と日本の青少年交流はとても重要なテーマだ。若者らは陝西師範大学の学生と一緒に鼓楼、回民街(ムスリム街)、大清真寺(中国最古のイスラム寺院)を見学し、陝西師範大学の学生食堂で昼食を食べ、キャンパスを散策した。会ったばかりの両国の青年たちはすぐに共通の話題を見つけ、ときどき中国語や英語、そしてジェスチャーを交えながら日本語で歓談した。

 

大清真寺を見学

 

陝西師範大学の食堂で

交流会では、陝西師範大学の学生が流ちょうな日本語で自分の学校や学生生活を紹介した。それから、奈良県の若者6人がそれぞれ奈良県の概要・歴史・イベント・食・学生生活などを紹介した。また、同大学の美術学院の学生の指導の下、中国の伝統的な書道を体験した。日山さんは、「私とペアを組んでくれた学生はまだ2年生になったばかりでしたが、日本語がとても上手で、日本とは少し違う中国の書道を教えてもらい、心が温まりました」と語った。同大学の日本語学部4年生の蘇施源さんは、奈良県の若者と交流するのは今回で2目となる。「昨年の夏休みに日本でサマースクールに参加しました、多彩な日本文化に触れ、たくさんの人々のお世話になりました。今後も微力ですが、中日友好に尽力していきたいです」と蘇さんは話した 

陝西師範大学で書道交流

 

一般家庭で現地の生活を実感

若者たちが最も楽しみにしていたのは、陝西省の家庭でのホームステイだ。ホストファミリーとは事前にSNSで交流していたおかげで、すぐに打ち解けた。

 

福田てれさ惠さん(手前右)と劉星辰家族(写真提供:劉星辰)

中でも胡馨瑋さん一家と劉星辰さん一家が奈良県の若者を受け入れるのは今回で4回目だ。両家は、「毎回個性的な若者が訪れますが、とても礼儀正しく、かわいらしいことが共通しています」と話す。

胡さんの家に来た熊﨑可倫さんは、中国語を勉強中とのことで、別れ際に胡さんたちへ中国語で書いた手紙を送った。

 

熊﨑さん(右から2人目)と胡馨瑋さん一家

 

熊﨑さんの手紙には、胡さん一家への感謝と奈良旅行の誘いがつづられていた(写真提供:胡馨瑋)

西北大学で考古学を研究する劉斌准教授は、奈良県の「海外技術研修員受入事業」に参加し、奈良県橿原考古学研究所で6カ月間研修したことがある。今回、ホームステイを受け入れたことを次のように語った。「研修中、奈良の人たちには大変お世話になり、感謝しています。今回恩返しのチャンスをいただいて、とてもうれしいです」

翌日、別れを惜しむ若者たちは、次はホストファミリーが奈良に来てくれるように呼び掛けた。

 

実感で分かる歴史やぬくもり

中国での4泊5日の旅は、若者に大きな影響を与えた。この旅を通じて、古都奈良と中国との深い縁を学び、一般的な生活を体験し、中国人家庭の温かさを感じ取ることができた。

 

揚州大学での交流では、奈良と揚州についてそれぞれ発表を行った後、揚州大学の学生が中国の歌を披露した。終了後、学生同士がスマホで連絡先を交換する光景も見られた

石﨑桃花さんは、中国訪問前後で変化した考えをこう説明する。「訪中するまでの中国人のイメージは、マスメディアを通したものしかありませんでしたが、この事業で接していただいた方々は、思いやりがあって、家族みたいに温かい人たちばかりでした。私も彼らのように外国の方をおもてなししたいです」

北田早貴さんは、「私が一番印象に残っているものの一つは兵馬俑です。想像以上に大きく、信じられないくらい昔の物が残っていることに感動しました。発見者や保存した人たちの素晴らしさを感じました」と語った。

6人の中で唯一、2度目の中国訪問である熊﨑さんは今後の抱負をこう語った。「訪中前から陝西省と奈良とのつながりについて、フィールドワークや講義など事前研修を3回受けてきましたが、まさしく『百聞は一見に如かず』で、この目で悠久の歴史を感じさせる建造物・文化財を見学することができ、陝西省と奈良県との深い絆を感じることができました。今後、わずかでも、両国の国際交流の発展に貢献していきたいです」

 

大明寺の仁如師から、奈良の唐招提寺から寄付された石灯篭の由来を聞く一同

今回の経験で、彼女らが中日友好交流の使者になり、彼女らを通して周りの人々が中国への見方を変える良いきっかけになるだろう。

関連文章