荒川知加子さん:広い中国で得たかけがえのない経験

2019-11-27 09:46:20

 

荒川隊員(左)と倉石隊員(右)

長年にわたり、中国ではごく普通の、愛らしい日本の若者たちが常に活躍してきた。彼らは自身の知識と熱意を中国の地に捧げてきた。彼らの中には社会人になったばかりの若者もおり、中国語もほとんど話せないものの、努力と楽観的な姿勢で、異国の地で人としての価値を実現させようとしている。日本国際協力機構(JICA)が中国に派遣するボランティアたち、それがこうした若者たちだ。ボランティアたちは通常、12年間中国に滞在し、そのほとんどが条件的にも厳しい遠隔地や貧困地域へと派遣され、そこで教育や医療といった業務に従事し、現地の人々と一緒に生活する。人民網日本語版では「中国の日本人ボランティア」コンテンツにおいて、こうした日本人ボランティアたちが中国で経験したエピソードや思いを紹介する。

今回は、青年協力隊員として内蒙古(モンゴル)自治区多倫県林業局に派遣された荒川知加子さんが、2年間近くにわたる活動で感じた思いを紹介する。この約2年間、荒川さんは仕事の面で失敗も経験したが、多くの地元の人たちの理解やサポートを得ることができ、さらには友情も芽生えた。荒川さんが自分の目で見た中国は、「優しくおおらかで柔軟性がある素晴らしい国だった」という。荒川さんは、自分がこの地で現地の人々と共に生活し働き存在したことも、何か意義があったと信じている。

「海外の与えられた環境で、できることに取り組み自分自身の経験を深めたい」「そしてその経験を帰国後何らかの形で日本社会に還元したい」と青年海外協力隊に応募した。

配属先は内蒙古自治区多倫県の林業局。内蒙古の県、厳しい生活環境を覚悟していたが、到着した多倫の町は想像していたより都会で少し拍子抜けした。しかし、一歩郊外に出ると多倫湖をはじめとする自然が豊かで美しい町で今後の生活に期待が膨らんだ。

林業森林保全隊員として派遣されたわけだが、到着したばかりの私は中国語での日常会話もままならず専門用語など到底話せるレベルではなかった。配属先は配属先で初めて受け入れる日本のボランティアに何ができるのか、何をしてほしいのかわからない様子で、両者のコミュニケーションのすべはなかった。とりあえず毎日職場に出勤し、「会話」ができなくてもできるパソコンのデータ入力を手伝いながら職場を観察し隊員としてここで何ができるか考えた。

日本で広く使用されている技術で、内モンゴルの気候風土でも応用できそうななにか、たどり着いたのがコンテナ苗と生ごみコンポスト作りだった。コンテナによる苗づくりは苗の活着率が高く耐乾性があり、運搬が便利である。効率的に植林用の苗を育てることができ、運搬する作業員の負担を減らすことができる。生ごみコンポストは、家庭の生ごみを有効活用して堆肥を作ることから環境保護にもつながる。派遣されて半年、やっと自分の専門性を生かした作業が始められるという期待、本当にうまくいくかという不安を抱えながら、林業森林保全隊員としての本格的な活動を開始した。

しかし、順調に苗の種が発芽し喜んでいたのもつかの間、半年後、わが子のように大切に育てていたコンテナの苗はすべて枯れてしまった。生ごみコンポストは文化の違いから現地の人に取り入れてもらえず、共に失敗に終わった。コンテナ苗は内蒙古の気候を十分考慮できていなかったことによるもの、コンポストは生ごみを有効活用するという意識や習慣がないという文化の違いによるものだった。林業森林保全という仕事は成果が見えるのに何十年という長いスパンを要する仕事である。苗作りにも最低1年はかかる。隊員である私に与えられた任期は2年、すでに赴任から1年が過ぎ、最後の夏も終わろうとしている私にもう一度チャレンジする機会はなかった。

このように、思うようにいかない悔しさ、自分の力のなさを感じる連続の毎日だったが、最後まで任期を全うできたのは中国で出会った人々のおかげである。

 

中国の母のようだった警備員のおばちゃん

 

赴任してしばらくたった頃、配属先の林業局で、一人でお昼を食べていると警備員のおばちゃんが自分の部屋に招きいれてくれた。それから彼女の部屋でテレビを見ながら一緒にお昼ご飯を食べ、世間話をする交流が始まった。おばちゃんのお気に入りの番組は抗日ドラマ。最初は複雑な気分だったが、おばちゃんにとってテレビはテレビで、私は私であることがわかってくると、複雑さは多少薄れていった。旅行や出張に行くときには「いつかえってくるの?」、帰ってくると「おかえり!」と言ってくれる中国の母のようなおばちゃんは私の心のオアシスになった。

コンテナ苗に取り組み始めた時、町のはずれにある苗畑に毎日朝夕2回水やりのため自宅から自転車で片道40分かけて通った。一人での孤独な作業だった。でもある日、それまでは遠巻きで自分の作業を見ていた農民の老夫婦が、突然ドラム缶を持ってきてくれ、これに水を入れて使えと言ってくれた。小さなじょうろで畑と水道を何往復もしている自分を見かねたようだった。また、別の日にはスコップの使い方を伝授してくれた。それ以降、苗畑までこぐ自転車がずいぶん軽くなったように感じた。他にもいつも困ったときに助けてくれた大家さんや、近郊を何度も案内してくれた馴染みのタクシーの運転手さんなど、例をあげると暇ない。

協力隊に参加する前、私にとって中国は、これほど日本と近いにも関わらず遠い存在で、どちらかといえばネガティブなイメージが強い国だった。しかし協力隊として飛び込んで実際自分の目で見た中国は、優しくおおらかで柔軟性があり、厳しい環境でもたくましく暮らし、家族との時間自分の時間を大切にできるゆとりもある素晴らしい国だった。

隊員として私が配属先に目に見える形で残せたものはわずかであったが、私という一人の日本人が2年間この多倫県で現地の人々と共に生活し働き存在したことも、林業森林保全とおなじくらい長いスパンで見た時、何か意義があったと信じ帰国したい。(青年海外協力隊 荒川知加子 林業森林保全 内蒙古自治区多倫県林業局派遣)

 

「人民網日本語版」20191122

 

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