「北京―東京フォーラム」 公共外交を革新し、中日関係の前進を後押しする

2022-10-05 10:05:34

  

今年は中日国交正常化50周年に当たる。21世紀以降、総体的に見て健全な発展を遂げてきた中日関係はこれまでにない数多くの新たな問題に直面している。公共外交(パブリック・ディプロマシー)の革新プロセスにおいて、かつては中国日報社、後には中国外文局と日本のNGOである「言論NPO」の共同開催による公共の総合対話プラットフォーム「北京東京フォーラム」が生まれた。同フォーラムは17年間にわたり絶えることなく開催され、両国の各重要分野における政府要人、シンクタンクの学者、財界のエリート、一流の有識者が集い、率直かつ誠実な対話、踏み込んだ意思疎通、両国関係の長期的安定のための積極的な提言および献策が行われ、中日両国間で最も影響力のある公共外交プラットフォームの一つに成長した。 

  

中国外文局の高岸明副局長は中国日報社と中国外文局が同フォーラムを主催した主要な時期を経験し、これまでに合計14回参加し、そのうち12回の運営で責任者を務めており、フォーラムの全容を最もよく知り、最も発言権を持つキーマンの一人だ。中日国交正常化50周年を記念し、中国外文局アジア太平洋広報センターの王衆一総編集長は高副局長を単独取材した。高副局長が語る「北京東京フォーラム」の過去と未来、開催の過程におけるさまざまな苦難、フォーラムの中での感動的なエピソード、さらには高副局長自身の意識の変化などについて、共に耳を傾けることとしよう。 

 

 

 

「北京東京フォーラム」の発展と中日関係について、中国外文局アジア太平洋広報センターの王衆一総編集長による単独取材を受ける中国外文局の高岸明副局長(写真右側)  

   

王衆一 公共外交は21世紀初頭の中国においては新たに生まれた概念で、中日間には当時まだ真に意義のある公共の総合的な交流プラットフォームがありませんでした。どのような偶然のきっかけが、この全く新しいプラットフォームの誕生を促したのでしょうか? 

  

高岸明 中日関係は両国にとって最も重要な二国間関係の一つです。中日はいずれも大国であり、国内総生産(GDP)はそれぞれ世界で第2位、第3位を占めており、二国間関係の良好な発展を維持することは両国の発展と両国人民の幸福にとって極めて重要なだけでなく、地域および世界の安定と発展の上でも重要な意義を持っています。国交正常化から50年間、両国関係はおおむね安定していましたが、起伏や紆余曲折が常にあり、衝突や試練に直面したときもありました。とりわけ新時代に入って間もなく両国関係においては変動が度重なり、意見の相違や誤解、ひいてはリスク要素が増加しています。いかにして両国の各レベルにおける交流と協力を促進し、民心の疎通を促し、相互理解と相互信頼を増進し、両国関係の安定的発展のために民意の基礎を固めるかということは両国関係上の重要な課題で、これまでとは異なる交流・コミュニケーションプラットフォームに対する客観的なニーズがあったのです。 

  

まさしくこのような考えに基づき、目標を実現するため、中日関係が低迷期にあった2005年に国務院新聞弁公室と同弁公室の趙啓正主任(当時)による支持と指導の下、中国日報社と日本の言論NPOは北京で第1回「北京東京フォーラム」を開催しました。また、2015年からはフォーラムの中国側主催が中国外文局に変わりました。 

 

 

 

フォーラム会場で主催側と交流する趙啓正部長  

  

当時、趙主任は他の大国との関係と異なり、「中日関係とはまさしく『盆景』のようなものであり、非常に妨害を受けやすく、よりしっかりと面倒を見る必要がある」と考えました。このような認識に基づき、対日公共外交を強化する考えが生まれたのです。在日中国人学者の紹介により、言論NPOの工藤泰志代表は中国日報社と巡り合い、趙主任に会って、中国側の機関とフォーラムを共同開催し、中日の踏み込んだ交流を推し進めたいというアイデアを伝えました。趙主任はこれこそが対日公共外交の突破口であると考え、力強い支持と心を尽くした指導により、フォーラムの立ち上げにおいて決定的な役割を果たしました。 

  

王衆一 趙部長はフォーラムの創始者と呼ぶにふさわしい存在だったと言えますね。では、フォーラムの立ち上げ後、どのようにして各級トップの強力な支持を継続的に得ることができたのでしょうか? 長年中断されることがなかった模索により、公共外交プラットフォーム構想の初志を達成することはできたのでしょうか? 

  

高岸明 はい。趙部長はフォーラムの創始者という名にふさわしいだけでなく、後にはフォーラムにおける最も重要なゲストの一人となり、一貫してフォーラムの発展に関心を持つとともに指導を行い、毎年フォーラムに出席し、その中の重要な活動に参加しました。 

 

 

 

フォーラムで祝辞を発表する当時の蔡名照国務院新聞弁公室主任  

  

私は2007年からフォーラムの組織運営業務に携わり始めました。実のところ、最初はフォーラムにはしっかりとした長期計画がなく、このような総合的フォーラムの開催はとても必要なことだといった認識にすぎませんでしたが、双方のフォーラム主催者による全力を傾けての取り組みと真心からの協力、参加ゲストの情熱と誠実さが毎回のフォーラム開催を後押ししてきました。2015年、フォーラムのさらなる発展のため、当時の蔡名照国務院新聞弁公室主任の調整と指導により、中国側主催というバトンは日本語人材がより豊富な中国外文局に受け継がれました。当時の周明偉中国外文局局長は欣然として受命し、周局長をはじめとする歴代の局長による入念な組織運営の下、フォーラムは今日まで発展してきました。 

  

 

中国外文局と日本の言論NPOは第11回から「北京東京フォーラム」協議を共同主催することで合意した  

 

 

  2017年4月、第13回「北京ー東京フォーラム」のハイレベル協議に参加した日本側実行委員会委員長、元国連事務次長の明石康氏と親しく会話する当時の「北京ー東京フォーラム」中国側指導委員会委員、執行委員会主任、中国外文局局長の張福海氏  

 

 

17年間、中日関係は風雨や挫折を経ながらも、フォーラムが中断されることはありませんでした。同時期、他の一部の二国間対話の催しはさまざまな原因により継続できず、この点においても「北京東京フォーラム」の強靭性と生命力が示されています。 

  

「北京東京フォーラム」の発展の歩みを振り返ると、中日双方のチームが中日関係について終始一貫して使命と思い入れを抱いており、このことが私に深い影響を与え、変わることなくフォーラムに携わることになったのだと思います。双方の長きにわたる不断の後押しを通じ、「北京ー東京フォーラム」は次第に中日間で最も規模が大きく、最もハイレベルで、最も幅広い分野にわたり、最も踏み込んだ議論が行われ、最も影響力の大きな公共外交プラットフォームの一つに成長しました。 

  

王衆一 「北京東京フォーラム」は新世紀以降の両国関係における紆余曲折にほぼ全て立ち会い、それらを見続けてきました。中日関係は百年間なかった変動の深刻な影響を受け、不確実性を見せている中、フォーラムは中日関係の健全で安定的な発展を後押しするためにどのような独自の役割を果たすでしょうか? 

  

高岸明 「北京東京フォーラム」の影響力は絶えず大きくなっており、ブランド力は徐々に高まり、中日の交流においてますます重要な役割を発揮しています。 

  

王毅国務委員兼外交部長は2005年からの駐日中国大使在任期間中に開催された第1回のフォーラムをはじめとして、その発展に関心と支持を寄せ、過去数回のフォーラムに出席するとともにスピーチを発表しました。過去17回のフォーラムでは歴代の国務院新聞弁公室主任がいずれも参加し、基調演説を行いました。毎回のフォーラムに参加する中国側の副部長(副大臣)級以上の政府要人は十数名に上ります。日本側も同様に数多くのハイレベルな政府要人や重要な議員が出席します。日本の岸田首相はかつて外務大臣を務めていた際、「北京東京フォーラム」に参加し、スピーチを行ったことがあります。また、中日両国の政界、財界、学術界における大勢の優れた人物もフォーラム上で中日関係の健全な発展のために提言、献策を行い、知恵を捧げています。これらのことは「北京東京フォーラム」がハイグレードで高規格かつハイレベルな交流プラットフォームであることを示しています。 

  

 

フォーラムの開幕式で政府を代表して祝辞を述べる王毅国務委員兼外交部長  

  

20069月に東京で開催された第2回「北京東京フォーラム」では、当時の安倍晋三内閣官房長官のフォーラムへの参加が突然決まり、中日関係改善を願うスピーチが発表されました。数日後、安倍氏は当時の小泉純一郎首相に代わって日本国首相となり、200610月初頭には訪中を実現させ、当時「氷点下」にまで冷え込んでいた中日関係の転機をつくり出しました。今考えると、安倍元首相は「北京東京フォーラム」の場を用いて自身の対中政策に関するメッセージを発したのであり、フォーラムは非常に重要な先導的役割を発揮したのです。 

 

  

 

日本側実行委員会の最高顧問・福田康夫元首相と親しく会話する「北京東京フォーラム」の中国側指導委員会委員、執行委員会主任、中国外文局局長の杜占元氏  

  

王衆一 「北京東京フォーラム」という政府間と民間の間にある公共外交モデルは両国関係に危機が生じた際、常に警報もしくは緩衝の役割を果たしているように思えます。 

  

高岸明 まさにそうです。これもまた「北京ー東京フォーラム」の大きな特徴であり、優れた点です。「北京東京フォーラム」とその他の外交関連のフォーラムとの違いは、背景に両国政府のサポートがある一方で、公共外交の形をとっていることです。このような方式の利点は双方のハイレベルな人物が相対的に柔軟さとゆとりを持ち、フォーラムで率直かつ誠実な対話、踏み込んだ意思疎通を行い、危機防止と問題解決のために十分に思考を交わすのに適していることです。同時に、双方の各界における優れた人物の知恵もフォーラムの成果として、両国政府の政策決定者に参考材料をもたらすことができます。 

 

 

 

 

 

フォーラムは毎年常設となっている二国間の政治・外交、経済・貿易、安全保障、メディア分科会の他、中日の社会で共に大きな関心を集めている問題をベースとして「新型コロナ対策における協力」「テクノロジーとイノベーション」「デジタル経済」などの特別分科会を新たに設け、双方のゲストが提言や献策を行っている。2020年の新型コロナ発生後、フォーラムでは北京と東京にそれぞれ会場を設けるという過去にない方法を取り入れ、オンライン・オフラインの交流で支障なく開催できるようにしている  

  

その他、公共外交は政府間外交が相対的に融通が効かず保守的で、純粋な民間外交はハイレベルなものではなく安定性に欠けるという問題も回避することができます。「北京東京フォーラム」が長年にわたり堅持してきた公共外交モデルは双方の政府に認められており、これこそまさしくフォーラムが独自の役割を果たし、成功を収めている要因です。 

  

王衆一 中日関係がうねりのように起伏を繰り返す中、「北京東京フォーラム」が17年連続で成功裏に開催されたのは容易なことではありません。フォーラムの活力や魅力が伝わる印象深いエピソードとしては、どのようなものがありますか? 

   

高岸明 今日に至る17年間の道のりの中には、確かに多くの忘れがたいエピソードがあります。 

  

2009年、私たちは第5回「北京東京フォーラム」を大連で開催しましたが、これは過去17回で唯一となる北京もしくは東京以外の都市での開催でした。歓迎のための晩餐会が行われる当日、北京で突然雪が降り、北京首都空港はまひ状態となり、ほぼ全ての航空便が運休になったことを覚えています。日本側のゲストは日本から大連への直行便を利用していたため影響を受けることはありませんでした。それに対し、中国側のほぼ全てのゲストは北京首都空港に取り残されてしまったのです。私たちは非常に焦り、あらゆる手段を考え尽くして北京首都空港や中国民用航空華北地区管理局に連絡し、さらには空港の管制塔にまで電話をしました。空港が航空便の離陸を手配できたのは、その日の午後5時すぎでした。最初に飛び立った旅客機には、フォーラムに参加する3040人の中国側ゲストが乗っていました。夜7時すぎ、ゲストの方々はついに大連の会場に着き、歓迎の晩餐会に参加し、フォーラムも無事開催することができました。より焦燥感に駆られたのは、私たちが招いた同時通訳者が北京から自家用車で出発し、一晩かけて風雪の中を走り、翌日の明け方5時頃にようやく大連に到着して、フォーラムでの同時通訳業務をつつがなく行ったことです。 

  

もう一つの出来事も紹介しないわけにはいきません。2019年に開催された第15回「北京ー東京フォーラムでは、趙啓正氏が中国の画家を招待し、「呉越同舟」の故事をテーマとする絵画を描いてもらい、フォーラムに出席した日本の友人に贈ることで、中日双方は互いに助け合い困難を克服することで二国間関係の安定を守り、手を携えて双方の共同発展を促進すべきという素晴らしい願いを表しました。このエピソードは中日の友好と交流における美談として語り継がれるものとなりました。 

 

 

 

フォーラムの席上で日本側のゲストに中国画『呉越同舟』を贈る趙氏  

  

フォーラムの組織運営者として、これらのはらはらする、もしくは人々を深く感動させるエピソードを思い起こすと、今なおこの上ない感慨を覚えます。 

  

王衆一 私も同じように第15回のフォーラムの際、日本のピアニストである瀬田裕子さんが会場で『黄河』の一楽章を弾いたことが記憶に新しいです。 

  

高岸明 そうですね。その回のフォーラムでは中国の著名なバイオリニスト・盛中国さんの未亡人である瀬田裕子さんを招待し、会場でピアノの演奏を披露してもらいました。瀬田さんは完璧な技巧と優美な旋律で会場のムードを盛り上げただけでなく、彼女が経験してきた中日間の感動的な交流のエピソードを語り、双方のゲストに深い感動を与え、その回のフォーラムでは和やかで打ち解けたムードが生まれました。 

  

 

フォーラムの会場でピアノの演奏を披露する日本のピアニスト・瀬田裕子さん  

  

これらのエピソードは中日各界の友好に携わる人々や有識者が固く守る共通の初心、フォーラムの発展推進と中日の友好・協力促進のために貢献した力を十分に示しています。これこそが継続的な開催の原動力であり、フォーラムの影響力が高まっている根源でもあります。17年間にわたってフォーラムが困難を克服し、開催し続けてきた過程は、前途多難でありながらも荒波を乗り越えてきた同時期における中日関係の縮図でもあります。 

  

 

会場で熱い議論を交わし、会場の外では熱心に交流をする双方のゲスト  

  

王衆一 毎年のフォーラム開催直前には中日両国で行った世論調査の結果が発表されます。このデータは中日関係の変化を客観的に反映できていると考えますか? 私たちはこの世論調査の結果の価値をどのように受け止めるべきでしょうか? 

  

高岸明 フォーラムの重要な構成部分として、2005年に第1回のフォーラムが始まって以来、双方の主催側がそれぞれ専門的な調査機関に手配して、双方の社会の中日関係への見方について世論調査を実施しています。中国側の世論調査を受け持っているのは零点有数科技術公司です。調査アンケートは通常5060問からなり、多いときは70問を超え、そのうち4分の3の質問は毎回同じです。他のおよそ4分の1の質問は、その当時の中日関係で注目を集めている問題をベースとして、国際関係の新たな動向や現象と結びつけて設問されたものです。毎回のフォーラムの開催前に、双方は世論調査の結果を同時に公表しています。 

 

  

 

フォーラムの双方の主催側が中日世論調査結果を共同で公表する記者会見  

  

17年間蓄積された調査データは中日関係の研究上、極めて大きな資料価値を持っています。その完全性、系統性、連続性は中日関係の変化を反映した定量分析であり、両国が外交政策を定める上で、さらには双方がさまざまな形での往来を進める上でも重要な参考データとなります。同時に、世論調査の結果は双方のメディアで広く伝えられます。毎年の世論調査のうち、両国民の相手国への好感度は、双方の社会でしばしば高い関心と強い反響を呼んでいます。 

世論調査の結果は総体的に見て客観的なデータであり、異なる時期における中日両国民の両国関係への見方を反映しています。両国の政治関係で軋轢が生じたとき、一部のデータもそれに合わせて変動しますが、中日関係にいかなる変化が生じようとも、双方の回答者は中日関係が両国にとって最も重要な二国間関係の一つであり、双方は政治、経済・貿易、文化など各分野での交流と協力を保つべきで、双方の民間交流は相互理解と相互信頼を促進する上で非常に重要だという考えで一致しています。 

  

王衆一 毎年のフォーラムで発表される双方のコンセンサスもこの世論調査を参考としているそうですね。また、フォーラムの最も重要な成果であるコンセンサスの合意は苦難の過程を伴うものだそうですが、その困難さにまつわるエピソードを紹介してもらえますか? 

  

高岸明 中日は一衣帯水の隣国同士で、引っ越すことのない隣人同士です。両国間には共通の利益が存在し、経済は高度に相互補完しており、文化や伝統も近く、共に東方文明を代表するものです。それと同時に相違もあり、一部分野や一定期間において相違ないしは対立が深刻になることもあります。フォーラムの双方の組織運営側はそのことを十分に認識し、率直かつ誠実な対話、踏み込んだ交流、小異を残して大同を求めること、コンセンサスの探求という原則を一貫して守ってきました。毎回のフォーラムでは決して問題を避けることなく、建設的原則を用い、それぞれの立場を述べると同時に相手方の意見にも耳を傾けるよう気をつけて、その中からコンセンサスを探し出し、提言を行っています。 

  

17回「北京東京フォーラム」では10余りのコンセンサスを共同発表しました。それらは毎回のフォーラムにおける歴史的記録および成果の集まりで、双方のゲストが二国間関係の健全で安定的な発展のために払った努力の表れであり、この目標の実現のために皆が捧げた知恵を書き記したものでもあります。 

 

 

 

フォーラムで知恵を捧げ、コンセンサスをまとめるべく努力する双方のゲストたち  

  

毎回コンセンサスをまとめるのは確かに容易なことではありません。2013年には日本による釣魚島のいわゆる「国有化」によって引き起こされた中国社会の強烈な反発の下、第9回のフォーラムが開催されました。フォーラム2日目の夜10時すぎ、私は唯一の中国側代表として日本側の5人の高位級人物と協議を始め、コンセンサスは翌日に発表される予定でした。私たちは多くのトピックについて議論しましたが、主な焦点は釣魚島問題であり、いかにして中日双方がこの争いを平和的に解決できるようにするかということでした。 

私と日本側の協議は翌日の明け方5時すぎまで続き、困難な議論でしたが、双方は最終的にコンセンサスで合意し、中日両国は釣魚島問題で現実的に争議があることを認め、平和的な方法で争いを解決すべきで、武力や武力による威嚇に訴えるべきではないと共に呼びかけました。日本政府が釣魚島に領土問題が存在することを認めていない中、双方がこのようなコンセンサスをまとめることができたのは実に容易なことではなく、このエピソードは中日間の極めて困難な問題を解決するために払われた双方の多大な努力を示しています。 

実際のところ、毎回のフォーラムでコンセンサスをまとめる過程は苦難に満ちたもので、少ないときでも34時間、多いときでは56時間を要し、ほぼ毎回徹夜を覚悟してようやく合意が得られるものです。ただ、嬉しいことに、双方は基本的に、最後はコンセンサスに合意できています。このことは双方が「北京東京フォーラム」において、いかなる相違があろうとも現実に向き合い、率直かつ誠実に意思疎通し、踏み込んだ交流を行い、小異を残して大同を求める方法を用いて、コンセンサスを模索しようと努めていることを物語っています。 

 

 

 

双方が合意したコンセンサスを真剣な面持ちで読み上げるフォーラムのゲスト  

  

王衆一 第18回「北京東京フォーラム」は今年の年末に開催されますが、これは中日国交正常化50周年記念イベントの中でも重要な催しです。今年のフォーラムにおける議論の方向性と得られる成果について、どのような考えと期待を持っていますか? 

  

高岸明 今年は中日国交正常化50周年に当たります。今年のフォーラムで私たちは初心を振り返り、経験を総括し、現実に向き合い、答えを模索することにより、中日関係の長期的安定のための良策を探し求めなければなりません。 

  

 

中日国交正常化40周年に際し、第8回「北京東京フォーラム」に出席した中日のゲストは両国関係の健全で安定的な発展を願って署名した 

  

私たちは過去50年間の中日関係の中からいかなる経験が参考に値するか、いかなる教訓を吸収すべきか、中日両国の発展促進と地域の平和と安定を守るために最も重要な共通点は何であるか、何が中日関係の発展に影響を与えるかを研究しなければならず、両国が小異を残して大同を求めること、そして制御不能な状況が生まれるリスク要素を回避するための努力を必要としています。 

そのため、今年のフォーラムの最も重要な任務は経験を総括し、未来に向かうことです。私は双方のゲストがより率直かつ誠実で踏み込んだ交流を通じ、それぞれの立場と姿勢を表明すると同時に双方の共通点を探し出す努力をし、両国政府の政策決定と二国間関係の健全で安定的な発展のための提言と献策を行い、双方の民間交流と民心の疎通を促進するために懸け橋および紐帯としての役割を発揮することを願っています。このことは両国それぞれの発展と人々の幸福だけでなく、地域と世界の平和のためにも相応の役割を果たし、人類運命共同体構築のために貢献します。私は今年のフォーラムのコンセンサスがこのような目的を達成できるよう願っています。 

  

 

今年まもなく開催される第18回「北京東京フォーラム」のハイレベル協議をオンライン形式で行う中日双方の主催側  

  

王衆一 フォーラムの中国側主催機関の組織運営者として、高副局長はこれまでに中国日報社と中国外文局のチームをまとめてきましたが、日本側の主催団体は変わっていません。そこでお聞きしたいのですが、日本の協力パートナーについてどのように評価していますか? 

  

高岸明 私は日本の協力パートナーであり、日本側の主催団体である言論NPOの工藤泰志代表について主に語りたいと思っています。工藤代表はたゆむことなく目標を追い求め、あらゆる細かな事についても仕事をおろそかにしない人です。工藤代表と協力を始めたばかりの頃、ある人が工藤さんは個性が強く、付き合うのは簡単ではないと善意で注意してくれました。確かに双方の協力において、私たちは業務上の細かな事で顔を真っ赤にして言い争う場面があり、相手に圧迫感を与える言葉を使ったこともありました。しかし、心を落ち着かせた後には、私たちの相違が異なる認識によるもので、私たちの論争はよりしっかりと仕事をするためのものであると気づきました。より多くの場面で、私たちは問題解決のために知恵を出し合うよう共に双方のチームをリードして、フォーラムの良好な運営のために互いに足並みをそろえました。 

17年間、私たちはお互いに磨き合い、順応し、助け合い、信頼してきました。仕事の上で呼吸が合ってきただけでなく、友情も生まれたのです。そうして工藤代表と私は一つの共通認識に至りました。それは、私たちがフォーラム開催の初心を守り、最大限努力をすれば、フォーラムのさまざまな業務をしっかり行えるということです。 

 

 

 

フォーラムで感想を述べる言論NPOの工藤代表  

  

同様に、日本側チームの中心メンバーである明石康元国連事務次長、宮本雄二元駐中国日本大使なども、フォーラムの良好な運営のために非常に大きな努力を払ってきました。この場を借りて工藤さん、明石さん、宮本さんをはじめとして、毎回の業務に真剣かつきめ細かな姿勢で向き合う日本の協力パートナーに感謝を述べたいと思います。「北京ー東京フォーラム」が中断することなく開催を続け、ますますしっかりと運営されているのは、これらの方々の懸命な努力があればこそです。 

  

王衆一 高副局長は「北京東京フォーラム」のこれまでのほぼ全ての道のりに携わってきました。17年間で何を得て、どのような感想を持ちましたか? 

  

高岸明 「北京東京フォーラム」は現在までに17回開催され、私は14回参加し、そのうち12回はフォーラムの組織運営を担いました。この仕事からは数多くの思いを得ることができました。 

  

まず、私たちは一度目標を定めたら、そのためにたゆむことなく努力を払う必要があります。「北京東京フォーラム」の使命は中日の交流と協力、民心の疎通を促進し、両国関係の健全で安定的な発展を後押しすることです。フォーラムの主催側として、私たちはこのことを自らの任務とし、行動に責任を持ち、いかなる試練に直面しようとも困難に立ち向かう覚悟で前へと進み、フォーラムの各関係者と共に的確な措置を取り、共通の目標を実現します。 

  

その中にはフォーラムの双方の指導機関トップによる心を尽くした配慮、両国の参加ゲストの力強い助力、中日双方の実行委員会の各専門家による地道な努力、両国スタッフの懸命な働きも含まれます。皆さんが行動に責任を持ち、たゆむことなく堅持しているからこそ、フォーラムは今日の規模にまで発展することができたのです。 

  

第二に、中日関係は複雑に絡み合っており、そのことは両国の歴史と文化、双方の国家利益と民族感情などさまざまな要素にまで及んでおり、時にはセンシティブな問題となります。そのため、私たちは絶えず学びを深め、これらの問題を正確に把握して、適切かつ的確な措置を取り、関連業務を推し進める必要があります。 

  

第三に、私たちは中国と外国を融和させる業務の進め方を取り入れ、原則を堅持すると同時に国際的なルールを遵守し、柔軟かつ実務的で適用性のある方法を用い、効果を導きとして業務を推進する必要があります。そのようにしてこそ、お互いを理解した良好な協力関係を打ち立てる上でプラスとなります。 

 

 

 

会場でフォーラムを主宰する中国外文局の高副局長  

  

フォーラムのさまざまな業務が着実に前へと進んでいることを嬉しく思います。幾年か後に現在を振り返ったとき、私は中日関係の安定的で健全な発展を推し進めるために努力をしたのだと、喜びを覚えることでしょう。 

  

取材=王衆一 

編集=暁寧 

写真提供=「北京東京フォーラム」事務局弁公室 

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