「北京・天津・河北」共同発展が新段階

2020-02-21 12:23:25

王焱=文・写真

 北京市(京)、天津市(津)、河北省(冀)からなる京津冀経済圏は、約1億1000万人の人口を有し、国内総生産(GDP)は全国の約10%を占める。長い間、京津冀地区は、アンバランスな発展という問題に直面してきた。経済資源の過度な集中によって、首都の北京が重荷を背負う一方で、河北省の経済は十分に発展しなかった。

 2014年2月、習近平国家主席は京津冀共同発展を重要な国家戦略と位置付けた。「相互補完、互恵・ウインウイン、着実な推進を堅持し、科学的で持続的な共同発展の道を急いで歩み出さねばならない」。京津冀地区はこれによって各自が思い思いに発展を模索する古い考え方を変えた。4年が経過した今、河北省の経済は京津冀共同発展戦略から利益を受け、活気にあふれている。

 

秦皇島――中関村式起業園の建設

 秦皇島市は河北省北東部に位置し、南は渤海に面し、華北と東北という二大経済圏を結び付けている。14年以来、秦皇島市にある秦皇島開発区は京津冀共同発展戦略のチャンスをつかみ、北京と天津の良質なプロジェクトとハイエンド人材を積極的に誘致してきた。

 14年5月、秦皇島開発区は北京中関村科学技術園区海淀園と協力して建設した「中関村海淀園秦皇島分園」を正式にオープンさせた。これは、中関村科学技術園区海淀園が北京以外に設立した初めての分園となった。

 秦皇島開発区管理委員会の扈秋寧副主任は、「現段階で、中関村海淀園秦皇島分園は計124のプロジェクトを誘致しました。われわれは中関村のイノベーション起業システムを極力まねて、初期プロジェクトと起業初期企業のために低賃金オフィス、初期投資、産業チェーンのインキュベーション(新規事業の創出や支援)などのサービスを提供しています」と紹介する。

 科学技術インキュベーター企業の中関村e谷(北京)科学技術サービス社に勤める関耀渠氏は、15年3月に秦皇島開発区に派遣され、e谷創想空間の社長として起業初期企業にインキュベーションサービスを提供している。「私は毎日企業株主、経営幹部、技術面での中心的人物などと交流や検討を行い、特許出願、給与設計、従業員の奨励、市場戦略など発展における難題を解決できるように企業への支援を提供しています」と関氏は語る。

 17年末までに、e谷創想空間社は、103社の零細企業に融資マッチング、管理訓練、起業相談などのインキュベーションサービスを提供してきた。そのうち17社が北京から秦皇島に移転してきた企業である。昨年のインキュベーター内の企業総営業収入は1億3500万元、納税額は688万元に達し、430人以上の雇用を実現している。

 

曹妃甸――良港により大産業を発展

 曹妃甸区は河北省唐山市の南部沿海域に位置し、もともとは渤海湾の中にある帯状の砂の島であった。今や京津冀共同発展戦略の波に乗り、40万㌧級の巨大な鉄鋼石輸送船も停泊できる天然の良港をよりどころに、大規模物流・大製造業を中心とした大産業クラスターを急速発展させている。現在、曹妃甸区には国内外の貿易航空路線110本余りが開通していて、鉄道によってロシアの遠東地域に直接向かうこともできる。

 16年に就任した京津冀(曹妃甸)共同発展モデル区管理委員会の孫学軍副主任は、同委員会幹部28人の中から北京の外に派遣された14人の幹部の一人である。孫副主任は、「京津冀共同発展戦略は具体的な人事任命と組み合っています。北京からの幹部は、全て北京市政府の各機関から派遣されており、北京市の各開発区および各企業との密接な関係を利用して、橋渡しをして、北京の企業がよりよく曹妃甸区に移転することを積極的に支援しています」と語る。今年上半期、北京市と天津市から曹妃甸地区への転入契約を行ったプロジェクトは計50件あり、総投資額は194億元に達する。このうち北京市のプロジェクトは36件で、総投資額は174億8800万元にも上る。

 転入した企業に安心してとどまってもらうために、地元政府は広大な住宅地を建設し、北京の優れた教育・医療資源を導入するとともに、学校や病院も開設し、従業員の子どもの教育と家庭医療の課題を解決した。

 「私の理解では、京津冀共同発展とは、生産要素のまったく新たな配置です。私は現在、月曜から金曜まで曹妃甸で働き、週末は北京の自宅に帰って休んでいます。私にとって、曹妃甸と北京はすでに分けることのできないものとなっています」と孫副主任は語る。

 

滄州――医薬産業パークに集積効果

 河北省滄州市は、東は渤海に面し、南は山東省に接する。北京から高速鉄道に乗って南へ50分ほどの地だ。渤海新区の総面積は2400平方㌔で、中国東部沿海地域において最大の面積を誇る開発区である。15年1月、北京市と河北省はこの地に北京・滄州渤海新区生物医薬産業パークの共同建設を行う契約を結び、中国バイオ医薬産業における京津冀共同発展のモデルとなった。

 北京万生薬業有限責任公司滄州分公司は、北京市大興区から河北省滄州市に移転した医薬品生産企業だ。この会社の技術総監督である劉志東さんは、会社の所在地の華佗路だけでも、北京からやってきたバイオ医薬品会社が十数社あると語る。「もともと、われわれバイオ医薬系企業は北京周辺の郊外に散在しており、業務協力で訪問する必要があると、時には3時間も車を運転して会っていました。しかし今ではここに移転して隣人となったので、会うのにとても便利になりました」

 医薬品業界の人材をここに誘致するため、今年、産業パーク管理委員会は天津の南開大学と協力協定を取り結び、研究院を共同建設して、産学協同研究を強化する予定である。同時に、河北加工医薬職業技術学院と人材育成の戦略協力枠組み協定を結んで、開発区のために、高い能力や技術を持つ人材を送り出してもらうという取り決めを結んでいる。

 

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