1月号のおすすめ

2017年1月5日発行
定価400円(本体370円)
 
特集 世界と手を携えて 「グリーン大国」に
特集1 「パリ協定」の実施を後押し
特集2 スピードを上げる環境政策
特集3 エコ産業に企業の熱い視線
特集4 地球に優しい未来を中日で
特集1 「十三・五」のメーンテーマに
特集2 北京郊外で観光産業と両立
特集3 注目集まる環境NGOの潜在力
特集4 「インターネット+」でより豊富に
異常気象を原因とする自然災害が人類に与える被害が大きくなるにつれて、気候変動への対応と自然環境の保護は国際社会が共に考えて行動するべき課題となった。世界最大の途上国として中国はすでに環境保護を国家発展戦略に組み込み、政府の管理、社会の建設から市民生活まで、環境保護の意識はますます幅広く、鮮明に反映されている。
この過程において、中国は環境保護の理念やモデルに新しいアイデアを出しただけでなく、新たに探求を進め、それによって自国の環境の状態を改善し、その上、国際社会に建設的な主張を示して積極的に各国との協力を推し進め、自発的に途上国に環境保護分野の援助を行った。このような中国の自ら進んで請け負い、大国としての責任感のある取り組みは、国際社会の広い賞賛を得て、世界の環境保護事業の発展に突出した貢献を果たした。
漢俳よもやま話☆(1)
初  雪
今年からは趣向を変え、毎号「カンパイ」にまつわる話を書いてほしいという編集部からの要望があった。
 「カンパイ」と聞いて、折りしも正月のことでもあり、“左利き”なら、「さては一杯やっか」と早合点し、「乾杯」を連想される向きがあるかもしれないが、さにあらず、「カンパイ」とは「{かん ぱい}漢俳」のことであり、読んで字のごとく、中国語の俳句という意味である。
 中国にはもともと日本のような「五、七、五」の形の俳句はない、というか、なかった。その俳句だが、いつ頃中国に伝わったのか、詮索する{いとま}暇はないが、なんでも最初に日本語で俳句を作った中国人は、明末清初の禅僧・{とう こう しん えつ}東皐心越(1639~95)であったとか。その後、数こそ少ないが中国人も俳句を作っていたと、ものの本に書いてあったが、1919年の「五四」新文化運動あたりから、日本文学に熱心な中国留学生による俳句の翻訳紹介が行われるようになったというのが、どうやら定説のようである。
中国紅茶の旅(1)
江西省にも武夷山があった?!

「茶発祥の地は中国」という話はよく知られているが、「紅茶の発祥地は?」と問うと、なぜかインドなどという答えが返ってくることがある。中国と紅茶はそれほどに遠く、結び付かないものだった。それは従来中国人が紅茶を飲む、というイメージがなかったからだろうか。だが最近の中国における紅茶ブーム、とりわけ福建省の{きんしゅんび}金駿眉に代表される高価な紅茶の登場により、その認知度は格段に上がっており、一般の人々が中国の紅茶に興味を持ち始めている。

そんな中、中国紅茶を扱う中国の友人の紹介により、各地の茶産地を訪ねる機会が得られることになった。その数は何と18カ所もあるというので、驚いた。この機会に紅茶の好きな人にも、そうでない人にも、中国の紅茶産地の存在を示し、その歴史背景、文化背景、そして現状を紹介できればと思っている。なお中国では筆者が15年前から使用している「茶旅」という言葉が、最近各地で聞かれ、新たな産業化の気配がある。

美しい中国 南京
地中に秘められた宝と謎 古今の仏縁交わる牛首山
江蘇省南京市の南郊外に位置する牛首山。二つの峰の並び立つ姿が2本の角を持つ牛の頭に似ていることから、こう名付けられた。別名、牛頭山とも呼ばれる。海抜242・9㍍と高さこそないものの、「金陵四十八景」に数えられる美しい自然景観が見られることもあって、昔から、皇帝や高僧、文人、武将などさまざまな人物がここを訪れ、数々の逸話を残してきた。中でも、仏教文化に関する伝承や見どころが多い。晩唐の詩人、杜牧(803~852年)は「南朝四百八十寺 多少楼台煙雨中(南朝四百八十寺 多少の楼台 煙雨の中)」と江南の風景を詠んだが、多数の寺院が牛首山に集中していたという。
 今月は、この牛首山にある名所旧跡をめぐりながら、そこにまつわるエピソードや人物などを紹介する。貴重な仏教文化財の発掘物語や偉大な先人たちの足跡に触れれば、南京という歴史ある街をさらに深く知ることにつながるだろう。合わせて、先日同地で盛大に開催された仏教文化イベントについても報告する。
連載 とっておきessay
人生最良のとき
  もし私の人生に特筆すべき点があるとすれば、それは1950年代の半ばから1960年代の半ばにかけて、毛沢東主席や周恩来総理、劉少奇、鄧小平、陳毅らの指導者が日本の友人と会見する際、たびたび通訳を務めたことであろうか。
  20代で、しかも北京に来て間もない私が最高指導者の通訳という大役を仰せつかるとは、まるで夢のようだった。一人の人間の運命はその人の生きていた時代と切り離せないことを考えると、幸せであったというほかない。 
  私は1952年の12月、大連から北京に転勤になり、『人民中国』日本語版の創刊に加わった。そのころから中日間の民間交流が多くなり、通訳の必要が増えてきた。仕事の傍ら、時々接待部門に出向いて日常の通訳をしていたが、徐々に重要な会見や会談に行くようになった。 
  初めて毛主席の通訳をしたのは1955年の10月、中南海で日本国会議員代表団と会見した時のこと。私は毛主席の向かい側に坐り、緊張のせいかコチコチになった。
美しい中国  河北省・保定(上)
歴史秘話に満ちた  首都北京の「南門」
  北京から150㌔ほど離れた河北省保定市は、3000年余りの歴史を持つ古城だ。古くから北京と南方各地を結ぶ交通の要衝として栄えた。北京と近いという条件から、元、明、清など歴代王朝は北京を政治の中心として確立後、政権安定の必要から、ここ保定に首都防衛の戦略的要地「首都の南の正門」と位置づけた。緊密な関係は保定と北京の間に複雑に絡まり合う文化的つながりを形成し、それは民国時代まで続いた。
  保定を訪れる観光客にとって、旧市街にある直隷総督署は必訪のポイントだ。現在国内唯一完全な形で保存されている清代の省レベル官庁の建物として、ここでは清代官府建築と官界文化を目にする絶好の場所だ。そして、通りを隔てて向かい合う古蓮花池、4㌔ほど離れた保定軍官学校記念館でも、保定に伝わる文化教育や軍事教育の伝奇物語を知ることができる。それに加えて、郊外にある満城漢墓、世界遺産の清の西陵も、この歴史都市のあでやかな文化の蓄積を象徴している。
  京津冀一体化構想(首都経済圏構想)の進展に伴い、保定に対する各界の注目度は絶えず高まっており、北京との関係はますます密接になっている。今月はこの都市の輝かしい歴史に触れながら、豊かな文化遺産を訪ねてみたい。
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