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大メコンに生きる(2)喜びも悲しみも水とともに

 



 

水の動きとともに動する家

毎年1月、カンボジアのトンレサップ湖は水がメコン川に逆流し、湖面が静かになると、新しい漁の季節を迎える。

トンレサップ湖の漁民の家は船の上であり、水位が上下するのに合わせて、移動しながら暮らしている。乾季が始まると水位が下がり、魚が浮かんでくる。そこで、漁民の家は湖心へと移動してゆく。数百艘、ときには千艘以上の家を載せた船がずらりと並ぶさまは、実に壮観である。

ニムさんと家族
ニム・キムリーさん(45歳)一家はトンレサップ湖の漁民家族である。彼女と夫は5人の娘と2人の息子の7人の子持ちだ。トンレサップ湖の漁民の家族にとって、10人ほどの子どもを持つのはごく普通のことである。子どもが多ければ多いほど労働力が増え、家庭の収入も多くなるからだ。現在、ニムさんの「家」も漁村の船隊とともに湖心へと移動し、彼らの「希望」を捕りに行く。

トンレサップ湖は、瀾滄江―メコン川流域で最大の湖である。メコン川につながっており、面積も水の貯蔵量も季節によって変わる。雨季になると、すさまじい洪水がメコン川からトンレサップ湖へと流れ込む。このときの水面はまるで海のように広く、面積は10000平方キロ以上となり、水深も10メートル以上増加する。乾季にはメコン川の水位は下がり、トンレサップ湖の水は再びメコン川へと流れてゆく。湖の面積は小さくなり、最低水位のときには、面積が2700平方キロほど、水深もわずか2メートルほどに過ぎなくなる。トンレサップ湖はまるでメコン川の胃袋のように、水を吸収、消化してメコン川の水量のバランスをとりながら、東南アジアの気候を調節している。

移動中のトンレサップ湖の漁民たち
1月はちょうど乾季で、湖の水位は絶えず下がり続ける。そのため、漁民も絶えず移動しなくてはならず、その落ち着き先は水の深さによって決まる。普通は岸から1、2キロ離れたあたり、深さ1~2メートルまでの水域に停泊する。千戸以上の船上の家を互いにつなげ、巨大な水上の村を形成する。

漁民たちは1年中、少なくとも5、6回は移動する。6月から10月までの雨季になると、水位が絶えず上昇し、風波が強くなるため、再び岸辺へ移動して、しばらく岸に上がって暮らすこともある。年があけて再び乾季が始まると、また船に戻る。先祖代々受け継がれてきた水上生活を営むトンレサップ湖の漁民たちは、世界中でもっとも頻繁に引越しする人々であるかもしれない。

漁業で暮らしを立てる

漁民たちはつねに夜明け前に漁に出る。早朝5時前後が、もっとも漁に適した時間帯である。毎日漁に出る前に、ニムさん夫婦は仏前に線香をあげて祈る。「仏様、どうかご加護を。どうかお守りください。家族全員が幸せで健康でありますよう、たくさん稼げますよう、漁が順調でありますよう、どうかご加護を」

長いかごで魚を捕り、片足で船を漕ぐ
普段、ニムさん一家は漁村から、約2、3キロ離れた水域で漁をする。エンジンつきの船が前をゆき、後ろの小船が網を張り巡らせ、直径約4、50メートルの円に囲んでから、人が水に入って網を整えて十分に広げ、引き上げるという伝統的な底引き網漁である。網を1回張り巡らすのに数人がかりで1、2時間ほどかかるが、これがトンレサップ湖の漁民のもっとも効率のいい漁の方法である。

瀾滄江―メコン川の水系は、世界でもっとも豊富な淡水魚の生態系を育んでいる。流域内には、すでにわかっているだけで1700種類以上の魚がおり、その多様性は世界の水系でアマゾン川流域に次ぐ2位となっている。2000年、世界野生生物基金会(WWF)は瀾滄江―メコン川流域を、世界のもっとも重要な淡水魚類の生態区の1つと定めた。瀾滄江―メコン川の魚類資源は、この流域で暮らす6500万人の生計にとって非常に重要な、蛋白質などの栄養を摂取するための主な食べ物となっている。統計によると、大メコン川流域の淡水魚類の年間収穫量は180万トン以上にのぼり、世界最大の内陸河川淡水漁業区となっている。漁業はこの地域に高い収入をもたらす産業とはいえないが、メコン川流域の居民のもっとも重要な生活方式の一つであることは間違いない。

ずっと昔から、この流域で暮らす漁民たちはさまざまな方法でさまざまな魚を捕ってきた。

鵜飼い漁の名人・黄六七さん
中国広西チワン族自治区の漓江の漁民は、鳥を使う独特な漁を行う。鵜を使う「鵜飼い漁」である。魚を食する鵜は、魚を捕る能力に長け、中国では「魚鷹」とも呼ばれている。昔から中国の多くの地方に鵜飼い漁の伝統があり、1羽の鵜が年間500キロ以上の魚を捕ることができるという。

黄六七さん(40歳)は、鵜飼い漁の名人である。漓江で生まれ、幼い頃から父について鵜飼い漁に携わってきた。父は数年前にこの世を去ったが、黄六七さんは兄の黄六四さん、叔父の黄運八さんと協力して漁を続けている。鵜飼い漁の鵜は、父が彼らに残してくれた財産である。

漓江の漁は普通夕方に開始し、夜明けまで続く。鵜が黄六七さんたちの「猟師」である。漁の前に、捕った魚を丸呑みしないよう、鵜の首をもち米の稲の茎で締めて細くする。暗い水面で、竹で造った筏の前にぶらさげた白熱ガス灯に魚が集まってくると、鵜を水に入らせ、筏を踏みならして水面を叩きながら、「ホウ! ホウ!」と絶えず声をあげて「猟師」である鵜を励ます。主人の激励の合図を耳にした鵜は興奮して優れた能力を発揮し、より多くの魚を捕まえる。先祖代々伝わる漁のコツである。黄六七さんは漁を終えたあと、小さな魚や海老を与えて鵜をいたわる。

この日の収穫はわずか2匹のみ
かつて夜が明けるたびに、黄六七さんら3人は魚を満載して帰ってきた。それから町の朝市へ出かけ、捕ったばかりの新鮮な魚を売った。生きた魚はいい値で売れる。これが3人の喜びであった。彼らと同様、ニムさん一家も漁業生活を楽しんでいた。生活とはこういうものであると考えているからだ。このような生活スタイルが11世紀にはすでに始まっていたことは、カンボジアのアンコールワットの壁画からもわかる。

しかし、この千年あまり、人々の生活にも変化が起きている。漁の道具が進歩し、人口が増え、科学技術も進んだ。魚類に対する需要も増大した。瀾滄江―メコン川流域の人々は、経済を発展させるために航路を浚渫し、ダムを建設し、水の流れの向きを変え、むやみやたらに魚を捕ったため、魚の本来の生存環境に大きな影響を及ぼした。

魚は道具が先進したからといって増えるわけではない。逆に多くの種が絶滅、あるいは絶滅の危機に瀕することになってしまう。大自然は文明の進歩とともに進歩するわけではないのだ。

 

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