天気が変われば、人も変わる
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漓江で漁をする黄六七さんと兄 |
かつては、ニムさんの家族が暮らす漁村近くの水域でも魚を捕ることができた。魚が少なければあちこちに移動し、あるいはもっと遠いところに行って漁をする。現在では、ますます遠くへ行かなくてはならなくなったにもかかわらず、一日中がんばっても何も捕れないこともある。
漓江でも同じような状況である。世界的に風光明媚で名高い漓江を訪れる観光客は増える一方で、魚の数は減る一方である。黄六七さんと兄、叔父3人の飼っている鵜が一晩中がんばっても、ほんのわずかな数の魚しか捕れなくなってしまった。収穫がなくても、鵜に餌を与えなくてはならない。鵜は毎日およそ1キロの魚やエビを食べる。そのため、黄六七さんは鵜の餌を買いに市場に行くようになった。
魚が捕れないばかりか、天気にも異常が見られるようになった。2006年5月、水かけ祭りも終わってとっくに雨季に入ったはずの時期に、トンレサップ湖には雨が降らなかった。湖上で数十年間暮らしてきたニムさんにとって、こんなことは初めてだった。北風が吹き続き、一夜のうちに水位が下がり、村全体が湖の底のぬかるみにはまってしまった。
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遊んでいる漁村の子どもたち |
どこへも行けなくなってしまった漁民たちは、目の前の泥沼を見つめながらため息をつくことしかできなかった。朝、ニムさんは仏像にすがるように祈りをささげる。「私たちが何か悪いことをしたのでしょうか。どうして助けてくれなかったのですか。仏様、どうぞお怒りを鎮めて、私たちをお助けください」
「ほら、見て。きれいな服ね。やっぱり陸地で生活している人々が着ているものは素敵。でも湖上にいる私たちには何もないのね」
夜になると子どもたちはテレビ番組を見ながら、そんなことを繰り返し口にする。ニムさんの子どもたちは湖上の生活を嫌がり、陸地での暮らしに憧れるようになった。この番組の撮影チームはニムさんの船に留まっていたため、家族が言い争う様子が耳に入ってきた。
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トンレサップ湖岸辺の禁漁を警告する看板 |
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トンレサップ湖の漁民・ニムさん |
ニムさん「米を買えるよう魚を捕るために、どんなに遠いところでも行かなくてはならないのよ」
長女「遠くに行ったらガソリンがなくなってしまうわよ」
ニムさん「漁をしなければガソリンどころか米も買えなくなるのよ」
長女「朝から晩まで頑張って、わずかなお金にしかならないじゃない。これっぽっちじゃ、ガソリンも買えない。くたくたで、外に出る元気もないわ」
長男「魚を捕らなくたって、他の仕事が見つけられるはずだよ」
ニムさん「漁をする以外に何ができるというの?字も読めないのに」
長女「仕事を探しましょう」
ニムさん「仕事なんてそんな簡単に見つかるものではないわ。祖父母の世代から私たちはずっと湖上で暮らしてきたのよ。漁をしなくてどうするの?」
長男「1日4、5キロしか魚が捕れないなんて、ガソリンの無駄だよ」
夫「今日捕れなくても、明日また捕ればいい。たくさん捕れる日は必ずある。しょんぼりしていても仕方がないだろう。多かれ少なかれ、捕れるのだからいいじゃないか」
ニムさん「頑張りましょう。コツコツと、こっちで少し、あっちで少しと頑張っていれば、なんとかなるわよ」
……
長女「ぬかるみが固まってくれたらいいのに。その上を歩けるから」
漓江の黄六七さんも、子どもたちとのコミュニケーションがどうにもうまくいかないような気がしていた。息子と娘は、それぞれ鎮と県の全寮制の学校にいるが、学校が休みになって帰省するたびに、黄六七さんは小言を言う。「私がお前たちの歳のころには、魚を捕ることも、竹の筏で流れに棹さすことも、何だってできた。それなのに、お前たちは竹竿を持ち上げる力さえない。魚も海老も捕れないなんて」
子どもたちはそれに反発して言う。「家に戻って竹の筏に乗りたいなんて人はもういないよ。そんなの疲れるだけじゃないか。僕は出稼ぎに行くよ。魚もいないっていうのに、鵜を飼ってどうするっていうのさ。いずれにしても僕は鵜飼いなんてやらないよ」
「お前たちがやらなかったら、この鵜たちはどうするんだ?」
「売ればいいじゃないか」
……
それでも水上生活は続く
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トンレサップ湖沿岸の漁船を作っている村 |
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早朝に漁をして戻ってきたタイの漁民たち |
漓江の一部の漁民はすでに漁で暮らしを立てるのをあきらめ、観光業に鞍替えしている。観光船の商売をする人や、伝統的な家庭料理の魚料理の小さなレストランを経営する人もいる。村の人々も交替で川で魚を捕るショーを観光客に見せて写真を撮らせ、チップを稼ぐようになった。しかし、黄六七さんとその兄、叔父の三人は決してその中に加わろうとはしなかった。「私たちは鵜飼い漁に育てられてきたようなものです。鵜飼いを続けていかなくては」と叔父の黄運八さん。
ところが、ある日黄六七さんが、長い間心の奥に隠していた気持ちを思い切って口にした。鵜を売るという。
「鵜を売るのは先祖代々の土地を売るのと同じことだ」と兄の黄六四さんが激しく反発し、テーブルを叩いた。
黄六七さんは言う。「かつては多いときで、一晩のうちに150キロ以上の魚を捕ったこともあった。今や観光の船が増えたうえ、こっそりと爆弾や電気を使って魚を捕るような輩まで現れた。こうなってしまったら、鵜飼いでなど魚が捕れるものか。どこに魚があるっていうんだ。昔は漁をするときには鵜の首をゆるく締めたものだったが、どんどんきつく締めるようになってしまった。今の締め方を見てみろ。明日には首が折れちまうかもしれない。折れちまうくらいなら、売るほうがいいじゃないか。鵜を殺すよりましだ」
黄六七さんは鵜に深い愛情を抱いている。鵜は彼らが生まれて初めて見た鳥で、幼いころから水辺で一緒に遊んできた友だちだった。一羽一羽の鵜とともに大人になったのだ。
結局、黄六七さんは鵜を売った。その金で、観光用の船を造ることにしたのである。祖先代々引き継いできた生活スタイルを変える決心をしたのだ。
トンレサップ湖地区に、ようやく雨が降った。水流が魚の群れをトンレサップ湖に連れ戻し、ニムさんに希望をもたらした。ニムさんはもはや怨み言を口にしたりせず、子どもたちにもっと努力をしなさいというだけだった。祖先代々の漁をする生き方以外で自分が生計を立てていけるのかどうか、ニムさんにはまだ分からない。しかし敬虔な仏教徒として、祖先たちを守ってきてくれた仏様は、きっと自分たちのことも引き続き守ってくれるであろうと信じている。
観光船が完成し、黄六七さんの新しい生活が始まった。黄六七さんは船長として、毎日観光客に故郷の美しさを紹介している。いずれにせよ、彼らの生活は水の上で続いてゆく。(文・写真=李暁山)0808
人民中国インターネット版 2008年9月16日
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