言葉の面から帰国者をサポート
私と中国の関わりは、1996年新婚早々、夫が中国の瀋陽へ駐在が決定した時に始まりました。東京の生活に慣れ親しんだ私には、現地での生活はカルチャーショックの連続でした。
瀋陽の冬の気温は寒い時はマイナス30度を超え、市場で買ったネギも家に帰るまでに凍ります。そんな寒さも初めての経験でした。
雪が降った日の朝、路面はつるつるに凍るので、人や自転車が滑って転ぶのをよく見かけます。しかも、タクシーはチェーンの付いていない状態で走行。ブレーキを踏むと1~2メートル滑ってやっと止まります。たまに前の車に軽く当たったりします。そうなると口喧嘩が始まります。
両方の運転手が出てきて口論を始め、お互いに言い合って譲りません。そして道行く人が何処からともなく集まり、2人を取り囲むように円陣ができ、双方の意見を聞いて「そうだ」「いや違う」など議論になります。日本では道行く人は遠巻きに眺めているだけですので、路上での熱い議論に少し習慣の差を感じました。
私も車の運転こそはしませんでしたが、凍った路面を上手にバランス取りつつ自転車に乗り、近くの市場に買い物に出かけました。気さくで屈託の無い笑顔のおばちゃんや豪快なしゃべりで好奇心旺盛のおじちゃんなどとの楽しい会話を通じて、次第に現地の生活に溶け込んで行きました。
冬の大地で生活している中国の方々の逞しさや、生活習慣に触れて、現地でしか学ぶことの出来ない貴重な経験をさせて頂きました。次第に、帰国後も日中間の関係に携われるような仕事をして行きたいと思いました。
現在は、通訳・翻訳の仕事を中心に活動していますが、数年前より友人の手伝いでボランティアを行っています。中国帰国者の方への日本語習得のサポートや、日本語を話せない方と病院や役所、学校に一緒に行って手続きをしたり、中国帰国者の両親らと一緒に来た幼い子供達に日本での生活、特に学習面での手助けを行っています。
ある小学2年生の子供は、日本語の読み書きに不慣れのため、学校の勉強についていけなくなったということで母親から相談を受けました。そこで夏休みや冬休みの間、午前中ずっと付き添って日本語と算数の勉強をしました。本人も「勉強は嫌い、嫌だ、わからない!」と言いながらも毎日頑張って勉強しました。ある日「先生!算数のテストでな、74点取ったたんやで、すごいやろー」と、満面の笑顔で誇らしげに言ってきました。私も一緒になって喜んで笑ったことを昨日のように覚えています。
この活動を通じて思ったことは言葉の重要性です。異国での生活というのはその国に馴染めれば楽しいのですが、そうでなければ苦しく、ともすれば自宅に閉じこもりきりになってしまいます。
私が瀋陽で充実した生活を送れたのも、言葉が多少なりとも話せ、現地の方とコミュニケーションを取ることが出来たからだと思います。
私は日本で暮らす中国の方が、日本での生活を活き活きと楽しく送れるように、言葉の面や生活習慣の面も含め、微力ながらお手伝いして行きたいと思います。 (司法通訳者・翻訳者 須磨みのり)
|
||
【プロフィール】 長野県出身。東京の大学を卒業し、3年半の会社勤務を経て、夫の仕事の関係で遼寧省瀋陽市に5年間暮らす。現在は、大阪在住で司法通訳、翻訳会社スタッフの傍ら、ボランティア活動などを行う。(ナシ族のお婆さんといっしょに) | ||
人民中国インターネット版