微笑――通訳のいらない言語
数年前のある日、自転車に乗って帰宅するとき、仕事のことを考えながらぼんやりと走っていたので、赤信号なのに突進してしまった。一人の初老の交通巡査が微笑みながらやってきて、「同志、自転車をこぎながら考え事をしてはいけません。非常に危険ですよ」と言った。
別の日、私はまた同じ失敗をしてしまった。すると交通巡査がやってきて大声で「死にたいのか、お前」と叫んだ。
理屈から言えば、巡査は二人とも、善意から忠告してくれたのだが、表現方法が異なると、人が受ける感じは違ってくる。
このことから私は一つの道理を悟った。それは、人は笑顔で「ノー」と言わなくてはならない、ということである。同じ事でも言い方が違えば、往々にして異なる効果が生ずることがあるのだ。
「Smile means friendship to everyone」(微笑は誰に対しても友好を意味する)という英語の歌がある。ロシアでは最近、モスクワで「百万人の微笑」活動が展開された。彼らのスローガンは「微笑は値段のつけられない宝物であり、幸福を生み出す永久機関(動き続ける振り子)である」だった。まったくその通りだ。
微笑は人に感染する。公共の場所で、誰か一人がおかしい話をし、皆をどっと笑わせると、彼が何を言っているのかがはっきり分からない人でも、思わず笑ってしまい、後で「何の話だったの」とたずねる。外国人と交際するとき、言葉が通じないため通訳が必要なときでも、微笑は通訳する必要がない。時には互いに微笑みながら頷けば、善意を伝えることができる。
1990年代初め、米国のキッシンジャー博士が上海・錦江飯店で開かれた国際会議に参加した。昼の休憩時間に彼は一人で、南京路まで行って一回りしてきた。帰ってきてから私に「街の人々の顔はみな、仏様のような微笑に溢れていた。善良で純朴な、平和を愛する民族なんだね」と言った。
微笑は、その国やその民族、あるいは個人の精神状態を伝えるもっとも良い方法なのである。
趙啓正
1963年、中国科学技術大学核物理学科卒業。高級工程師などを経て1984年から中国共産党上海市委常務委員、副市長などを歴任。
1998年から国務院新聞辦公室・党中央対外宣伝辦公室主任。
2005年より全国政協外事委副主任、中国人民大学新聞学院院長。 |
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人民中国インターネット版 2009年3月12日