中国で出会ったエスペラント
|
中華全国エスペラント協会青年委員会の蒋利民さん(左)と |
石井永人 |
1982年5月生まれ。東京都稲城市出身。2002年から北京に留学。北京外国語大学で中国語を専攻。趣味はエスペラント学習と列車の旅。 |
私は20歳で中国に来て、一時帰国期間を含めて8年目になる元留学生です。タイトルを見て、エスペラントと中国とはどういう関係があるのかと思われた方が多いかもしれません。エスペラントは1887年、ポーランドで眼科医のザメンホフが作った人工言語で現在世界で数百万人もが学習しています。
今から7年前、2003年に遡ります。ある日、北京の本屋をぶらぶらしていました。すると、『世界語教程』と書かれた一冊の言語教材が目に飛び込んで来ました。世界語?私は思わずその本を手に取り、説明を詳しく読んで世界語がエスペラントの中国語訳だという事が分かりました。この訳語は1906年に小説家・二葉亭四迷が出した日本初のエスペラント教材「世界語読本」に由来し、当時日本に留学していた中国人が祖国に持ち帰ったものです。
私はこの言語を学習しようと決意し、すぐに北京にある中華全国エスペラント協会を訪れました。中に入ると中国語でも英語、フランス語でもない言語で中国人同士が話していました。それが私が初めて聞いたエスペラントでした。私が日本人だと知ると、エスペラントで話しかけて来ましたが、もちろん答えることは出来ませんでした。でもその時、この言語を絶対覚えようという決意が生まれました。
しかし、時間に余裕がなく、一年後、やっと本格的な勉強を始めました。北京外国語大学に編入し大学生活にも慣れてきた冬、協会の紹介で同じ大学のエスペラントを話せる同級生・許懿達さんと知り合いました。彼はエスペラント以外にも英語と日本語を流暢に使いこなす秀才で、週に何度か、エスペラントとたまに中国語と日本語を混ぜながら話す楽しい時間を過ごすことが出来ました。それまでは留学生同士の交流が多く、中国人とはあまり関わりを持ってこなかった生活が変わり始めたのはその時からかもしれません。
2006年一月私は初めてエスペラント活動に参加しました。場所は北京の朝陽公園にある「世界語林」、2004年に北京で開かれた世界エスペラント大会を記念して建てられた石のモニュメントを中心とした小さな林です。私はそこで海外からの唯一の参加者として初めてエスペラントで演説を行い、また中国国際放送局エスペラント部のアナウンサーの方々とも話す機会に恵まれ、凍えるほどの寒さではありましたがとても楽しいひと時でした。その後も多くのエスペラント活動に参加し、そこで知り合った人達と交流し、やっと本当の中国を見ることができたような気がします。
人民中国インターネット版 2010年11月