湖南省城歩県の山歌祭と打油茶 おもてなしの技と心
陽盛海 魯忠民=文 魯忠民=写真
城歩の山歌祭は、毎年陰暦の6月6日に、湖南省城歩県長安営郷のトン族を中心に県内の大きな村で催される。この盛大な祭りに参加するのは、各村落のトン族、漢族、ミャオ族、ヤオ族などの人たちと、隣の通道県と広西チワン族自治区龍勝県の各民族の歌い手たちだ。ステージにのぼる人の数は少なくとも5、6000人で、多い時には7、8000人にもなる。集まった人々は、感情豊かに民謡を歌いあげ、はるか遠くまで蘆笙の音が鳴り響き、緑の葉を口に含んで吹き鳴らす。老若男女を問わず大変な盛り上がりを見せ、とてもにぎやかな祭だ。
|
|
打油茶で客人をもてなす城歩長安営村の婦人 |
6月6日、長安営村の各村落で行われる天王菩薩を担ぐ行事の模様 |
山歌「六六」山村に溢れる人情
6月6日は、トン族の伝統的な祭で、半年に一度開催されるので、「六月年」とも呼ばれる。この日、長安営村(古称は横嶺峒)では、恒例の天王菩薩担ぎが行われる。伝説によると、明朝の正統元年(1436年)、トン族のリーダー、蒙能が明王朝に抵抗するため、トン族とミャオ族の同志を集めて蜂起した。景泰七年(1456年)、蒙能は銃弾に倒れてしまうが、ミャオ族のリーダー、李天保は引き続き戦った。天順四年(1460年)6月6日、蜂起軍は民謡で兵士を励まし、一度は明軍を破った。しかし、翌年に蜂起軍は敗れ去り、李天保も殺害されてしまった。横嶺峒の各民族たちは「天王」廟を建てて李天保を祀り、6月6日を山歌祭と定め、廟で盛大な祭を行い、豚と羊の捧げものをし、天王菩薩像を担いで練り歩き、気候が順調であることと民の平安を祈り、山歌の掛け合いを行うようになったという。
長安営で、私たち記者は菩薩像を担ぐ行列と出会った。力強く菩薩像を担ぐ人たちは、天王廟から出発し、各村落を回って、村民からの焼香や爆竹での歓迎を受ける。菩薩像が廟に戻ると、私たちはあることを発見した。天王と呼ばれる神霊は三人いて、村民は彼らを白帝天王と呼び、中央が長男の楊尽遠、右が次男の楊尽清、左が三男の楊尽靖だ。三人にはそれぞれ特徴的な役割があり、長男は世の中が平和で繁栄している時、次男は天災に見舞われた時、三男は戦乱が起こった時に担がれる。今年は気候が順調であったので、長男の楊尽遠が担がれた。
|
|
農民の歌い手たちの民謡は昔ながらのものばかり、素朴なメロディが心に響く |
天王廟に供養される三つの白帝天王。現地の少数民族の人々を中心にみな白帝天王にぬかずく |
近年、城歩の山歌祭は有名になり、この地を訪れ参観する人が増えたため、祭の場所が天王廟の中から古い森の中に移された。この祭では、招く側すなわちホスト側が、村の入り口の前に「攔門酒」を置き、各地からの来賓と歌い手たちを迎える。二人のトン族の少女がにっこりと微笑みながら、客人たちに美酒を勧め、よく通る声で美しい歓迎の歌を披露する。一人が「お客さまがトン族、ミャオ族の村に来て下さって、とても嬉しいです。一杯の米酒を勧めて、心からの歓迎の意を表します」と歌えば、もう一人が「また今日は一年の内の6月6日でもあります。トン族の村はどこもいきいきと輝いています。私たちの村に来ていただいたことが嬉しくて、山歌も心ゆくまで歌えます」と歌う。招かれた側は、笑顔で攔門酒を飲み、ホストの心遣いに感謝するのである。
山歌祭に参加する歌い手はとても多いため、普通いくつかのグループに分かれる。一般的には男女の歌合戦、あるいは現地の歌い手と招かれた歌い手との歌合戦という形式である。山歌の大体は、即興で歌われる。歌詞も日常生活を歌ったもので、感情豊かでわかりやすく、趣たっぷりのものばかりだ。しかし、なんといっても、男女による歌合戦が一番おもしろい。例えば、一方が「空の星は月を、山の中の金鶏は鳳凰を伴う。かわいいあの子は農家の子、一途に想うはやっぱり農家の子」と歌えば、もう一方は「山が高かろうが道が遠かろうが、かわいいあの子のためなら山も越える。蜂の巣みたいなたくさんの目はいらない。ただ蜂のように美しい花を好きになるだけ」と歌う。心の奥深くの感情は、すべて歌詞の中に表現される。
2010年7月、私たちは城歩のトン族の村で6月6日に行われる山歌祭に参加した。残念なことに、規模の拡大に伴い、会場は城歩市内に移されていた。参観者が増え、来賓も多くなり、歌い手はステージにのぼり、その下には審査員たちがたくさん控えている。本来の味わいは薄れ、集まった人たちの中にも、夢中になって見ている人も少なくなり、見知った人たちからの歓声もなく、時間を問わず歌える自由もなくなってしまっていた。しかし、ホスト側が言うには、今年は特例であり、来年は長安営に戻るとのことである。
|
|
茶葉をたたくトン族の婦人 | 祭の出し物の一つ。ミャオ族の娘が嫁ぐ前の気持ちを表現している1シーン |
長安営郷へ行く途中で、現地の民俗研究家、陽盛海さんが即興で『茶葉を担いで北京に行く』という歌と現地の民謡『賀郎歌』を歌ってくれた。二つはメロディーが驚くほど似ている。「『茶葉』は、著名な音楽家、白誠仁が5、60年前にトン族の村に民謡を収集に来た時、『賀郎歌』に基づいて創作したものなんですよ」と陽先生は教えてくれた。後に歌い手たちに歌われるようになり、全国的に有名になったそうだ。