留学時代のチューターのこと
劉暁秋=文・写真提供
昨晩、満開の桜の夢を見た。美しい桜の様子を目にしてわくわくしたのもつかの間、目が覚めると、それは夢の世界なのだった。私には荒川千里さんのことが思い出され、長い時間眠りにつくことができなかった。
大分での出会い
荒川千里さんは私が日本に留学していた時のチューターだ。2002年9月、大学三年の私は交換留学生として日本の大分大学教育福祉科学部に一年間の短期留学をすることになった。大分大学では、外国人留学生ができるだけ早く日本での生活と学習に慣れるよう、サポートするチューターを私たち一人ひとりにつけてくれたのだ。「荒川千里」の名前を初めて見た時、私は男性だと思った。本人とお会いして、それはまったくの思い違いだったことが分かった。痩せた体つき、ほっそりとした顔立ち。長い髪を耳もとで自然に結んでいる。見るからに穏やかでやさしい感じだ。
|
日本を離れる直前に開かれた送別会の席上で(右が私、中央が荒川千里さん) |
千里さんは私のために、新入留学生に必要な諸手続きをいっしょにやってくれた。市役所では外国人登録と国民健康保険の手続きを、銀行では口座を開くなど、すべての手続きがその日の午後に済んでしまった。二人の意思疎通はなかなかたいへんで、主に筆談にたよった。彼女は少なくとも週に一度は一緒に食事をすること、二週間に一回、指導教官の先生のところに出向くこと、生活と学習に何か問題があったら、いつでも自分を尋ねてきてほしいと、とてもまじめな表情で私に告げたのだった。
秋季学期のあいだ中ずっと、私と千里さんが会うのは、主として千里さんが私の宿題を手伝うためだった。彼女は私に指導の先生と会うよういつも催促した。最初、私は先生と会うのは気が進まなかった。私の日本語は日本に来てから学び始めたもので、多くのことをよく言い表せなかったからだ。先生のお名前の日本語での発音さえ覚えられなかった。そんな私を千里さんは先生の研究室へ連れて行き、入室前に先生のお名前の発音を教え、部屋を出る時には「失礼いたしました」と先生にあいさつするよう促した。
私の日本語の学習は五十音を覚えることから始まった。先生方は日本語に英語を交えて授業をしてくださる。先生のなかには英語の発音が時として聞き取りにくいかたもいらっしゃったが、しかしながら、みなさん温かく親切で、味気ない文法もとても生き生きと講義してくださった。当時の私はすでに師範大学で二年間学んでいたが、一度も教師になろうと考えたことはなかった。しかし、日本の先生方の熱情あふれる講義に接し、いつのまにか、教師の仕事が崇高で有意義な、とても楽しい仕事であるように思えてきた。そして、将来きっと優れた教師になるという決心をしたのだ。
私は日本式の英語発音になじんでみようと思った。日本人との交流の便宜のためだ。日本人の発音をまねて、「r」を「l」に、「v」を「bu」に発音してみた。最初はおもしろいと思ったのだが、半年後、東京ディズニーランドでホットドッグを買う時、自然に「hottodoggu」と発音してしまい、私の英語の発音がついに日本式の英語になったことに気付き、びっくりしたのだった。