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「中国」は教科書の一ページ

 

文=須賀 学(すが まなぶ)

中国との関わりは幼少のころからありました。初めての海外は一歳と3カ月ぐらいのとき。父の仕事の関係で香港に渡り、香港の保育園と日本語幼稚園に卒園するまでいました。その後小学校の4年生で北京に渡り、再び香港に行き中学を卒業するまで海外で暮らしました。人生のほとんどを海外で過ごし、そういう意味では日本に慣れていない日本人になってしまいました。

高校の時にそれを実感しました。普通に日本で過ごしてきた人と自分の考えはどうも違う。彼らの話に自分はついていけないし、ついていこうという気にもなりませんでした。もともと性格的に合わなかったこともありますが、全くかみ合わなかったような気がします。  

留学のために北京に来たのは高校を卒業して一年が経ったときです。大学受験に失敗し、受験する気力もなくなっていた自分を見かねて父が留学を勧めました。初めは拒否しましたが、次第に自分の中で変化を求める気持ちが芽生えてきました。それが僕にとっての最初の「中国」だと思います。中国に行けば自分の中の何かが変わるような気がしたのです。

2008年の終わりに父から「留学の申し込みをしたからいつでも行ける」というメールがありました。僕の心に動揺と覚悟が現れました。「どうせ腐るならもう一度挑戦してみよう!」と思うようになり、2009年1月ついに留学を決意し、2月に北京にやってきました。

現在、中央戯劇学院で中国語の勉強をしています。子どものころに香港、北京にいたとはいえ全く語学をやらなかったのでゼロからのスタート。現在も苦戦しつつ日本にいるときとは違う生活を楽しんでいます。

戯劇学院での生活はまさに別世界にいるような感覚です。多様な人種が一緒に暮らしている。それなのに彼らとの壁はほとんどなく、みんなが家族のように接してくれる。今の日本にはなかなかないと思います。中国人とのお付き合いもまた学ぶところが大いにあると考えています。日本人留学生も日本ではなかなかいないような個性的なキャラが多く自分など全然大したことないといつも思います。

とにかく日本での「寂しさ」をここにいると強く感じます。日本ではなにかできるようで実はなにもできない。なんとかしなければと思っても何もできない。そして、何もできなければそれまでという感覚をずっと引きずっていたような気がします。

日本にいることだけが全てではないと留学中に気付きました。別に自分のことがうまくできなくても少しずつ分かればいいのではないか。自分の知らない世界を知ることが、結局自分を見つめるきっかけになると思うようになりました。

僕にとっての「中国」は教科書の一ページではないかと思います。発展していく中国を見て自分も何かできないかと考えさせられます。これからどうなるかは分からないけれど、それを一つの経験として受け止め感じることが「勉強」だと思っています。

キャンパスで棒術の型を練習している筆者

1990年2月生まれ。2009年に北京中央戯劇学院の漢語班に留学。二年半漢語班に在籍。2011年9月より北京外国語大学留学生本科生となる予定。

 

人民中国インターネット版 2011年9月

 

 

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