「運命の出会い」
城塚 真衣
小学4年生のころ、私の住む田舎の学校に、一人の中国人が転入してきました。彼女はとても明るく活発で私と同じくアニメが大好きだったので、初対面から意気投合し、すぐに仲良くなりました。しかししばらくたつと、彼女の話す日本語が時々おかしかったのか、みんなに笑われ、いつの間にかいじめられるようになっていました。そのとき私は許せない気持ちでしたが、自分がいじめの標的になるのが怖くて結局何もできないまま、彼女は近くの学校に転校してしまい、そこでもうまくいかず、最終的に帰国してしまったと母親から聞きました。昔のことなので鮮明に覚えている訳ではありませんが、私はとてもショックだったのを覚えています。
それから何もなく日々を過ごし、大学受験の年になっていました。私はいろいろな大学の情報をインターネットで見ていて、ふと今在籍している学部の情報を目にしました。4年間のプログラムの中に、中国留学が1年ある!私は昔から外国語に興味があり専門的に勉強したいと思っていたので、この募集を見た瞬間、中国語を学びたい!と自然に思うようになっていました。そしてなんとこの思いが通じて無事に合格し、留学のチャンスを手にすることができました。
私は北京大学という名門大学に1年間留学することに決まりました。留学に行く前は、言語は学んだものの中国人とどのように接したらいいのか、中国人に攻撃されないかとばかり考えていました。なぜなら、私が留学に行ったちょうどその時期、2012年は「島」をめぐる問題の真最中だったからです。さらに中国に着いて10日ほどたった9月18日には、満州事変の発端となった柳条湖事件の日だということもあり、日本への抗議活動が起こるのではないかと終始不安でした。しかし、そんな私の不安も1カ月すればもう消え去っていました。少なくとも私が出会った中国人たちはみんな、日本から来て中国と向き合おうとしてくれている日本人の若者の一人だと言って歓迎してくれました。私も日本ではこうだからという概念を取り払って、中国人と接したいと日頃から考えていたので、すぐに彼らと打ち解けられました。学生同士の交流では、日本語や中国語を教え合ったり、北京の歴史的建造物を見に連れていってくれたり、旧正月には実家にまで案内してくれました。さらに、私は学生以外での交流も大切にしてきました。旅行の道中では、隣に座った人と日本や中国の素晴らしいところについて話をしたり、タクシーに乗れば運転手とたわいもない会話を楽しんだりしていました。最終的には休日を利用しては中国各地を歩き回り、50人の中国人に日本の文化を知ってもらおうと企画し、大都市だけでなく、郊外や農村に行ってインタビューをしたり、折り紙を教えてあげたりとさまざまな人との交流を大切にしてきました。私は交流を通して、中国の方たちの温かい心に触れ、一期一会を大切にし、人との絆を大切にする文化に非常に感動しました。
そんな日々の中でふと、小学生の頃に出会った中国人の友人のことについて思い出しました。あの子はこの広い中国のどこにいるのだろう、覚えているのかわからないが会ってみたいと考えていました。思い立ったらすぐに行動しなければ気が済まない性格なので、早速小学生の時の先生や友人に連絡をして、行方を探しだしました。しかし、昔のことなのでなかなか有力な手がかりが見つからず、結局そのまま帰国してしまいました。日本に帰ってきてからも探し続け、ついに当時その友人の母親の中国人の友人の方に聞いて、今南京の近くに住んでいることがわかりました。幼かったけれども、中国に興味を持つきっかけを与えてくれた友人に感謝の一言と、さらにあの時はごめんねと言いたい。もしかしたら私は中国語を学び、中国について学んでいる事は一つの運命だったのかもしれません。だから私はこれからも彼女を探すことをあきらめず、今後もっと多くの人との交流を通して、日中を繋いでいきたい。
人民中国インターネット版 2015年1月