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心をつなぐハガキ

 

一木 有海

私は今日も楽しみにポストを開ける。まだかな、まだかな。あっ、来てる!差出住所は中国浙江省杭州市。“隣国”中国から届くハガキ。ハガキのやりとりを続けてちょうど1年が経つ。昨年9月、私は日中友好大学生訪中団の一員として中国を初めて訪れた。差出人は、その時に仲良くなった、当時杭州師範大学4年生のミンちゃん。私にとって、友達でもあり、憧れのお姉ちゃんのような存在でもある。

届いたハガキには、大学卒業後、デザイナーになる夢を叶えるために新たな1歩を踏み出したミンちゃんの活き活きとした字が綴られていた。私は1文字1文字を噛みしめるようにゆっくりハガキを読んだ。綴られた漢字にはまるで表情があるように、私に語りかけてくれる。夢に向かって頑張るミンちゃんからのパワーを受け取った。時々、以前に届いたハガキを読み返すこともあり、日々の情景を想像したり、中国を訪れた時のことを思い出したりしている。

昨年の秋、初めてミンちゃんにハガキを出す時には、住所や文面に間違いが無いかなど、とても緊張して書いたことを覚えている。今では、最近どこどこに行ったよ、今度何々する予定だよ、ミンちゃんはどう?などと、たわいもない近況を語りかけるように自然とペンが走る。ミンちゃんにハガキを書く時間は、私にとって、とても楽しいひと時だ。

つい先日、私の大学で開催された「語りつくせぬ感情―巴金と日本の写真・文献展」を見に行った。そこには、巴金の友人である日本の人々が中国の巴金に送ったハガキが展示されていた。巴金は現代中国を代表する作家であるが、日中間に国交が無い時から、日本を訪れていたそうだ。様々な場面で「日本の人々との間にも共通の話題・共通の感情を感じた」と巴金は「私と日本」の中に記している。

1930年代から、個人間では日中交流があったことを知り、驚いた。戦火による焼失を奇跡的に免れたぼろぼろのハガキと、そこに筆で力強く書かれた文字を見たとき、先人の人々が築いてきた日中交流の計り知れない重みを感じた。残念ながら巴金のハガキは現存していないそうだが、巴金から日本へのハガキは中国語で、日本の人々から巴金へのハガキは日本語でしたためられ、交流が続いていたという。偶然にも、ミンちゃんと私の文通も同じスタイルだ。約70年前から、ハガキを通した中国と日本の心の交流が現代の私たちに引き継がれているようで、とても感慨深いものを感じ、まさに、「語りつくせぬ感情」が私の胸にも湧き上がった。

中国を思い浮かべたとき、彼女の顔がすぐに浮かぶ。「また会いたい」と思う友人が中国にはいる。ハガキのやり取りが、ミンちゃんと私の心をつないでくれた。

さあ、今月の返事はどんな話を書こう。夏の花火大会が楽しかったこと,中国から日本に観光に来ている女の子に電車の中で突然話しかけられて、日本のお土産の相談に乗ったこと,教員になる夢に向かって試験を受けたこと……ミンちゃんに書きたいことがたくさんある。すぐにでも会って、直接話したい気持ちになる。会いに行けるその日まで、ハガキで語りかけよう。大切な友人がいる、中国。私にとって、心が通い合う “隣人”なのだ。

 

人民中国インターネット版 2015 年12月

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