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ティーシャツと短パンの勇者

 

後藤 翔

ティーシャツと短パン。それが私の小学生の頃の格好だった。私は、あの頃の私から学ばなければならない。 

私たちに余計な言葉は必要なかった。彼がつまらなさそうに校舎の壁にもたれかかって、私たちの方を少しだけ羨ましそうに見ていた、それだけだった。それだけで私たちは一緒に校庭を駆け回り、友達になった。 

小学校三年生の一学期に転校してきた彼は中国人だった。小学生にとって外国からの転校生というのは新鮮なもので、クラスの話題がまだ見ぬ彼一色に染まるのに時間はかからなかった。「チュウゴクからだって!」「すげー」と私のクラスは沸きに沸いた。かくいう私も例外ではなく、よく知りもしないチュウゴクからの転校生に期待を抱いていた。朝礼の時間になると、担任の先生と一緒に彼が入ってきた。期待と興味の入り混じった視線が飛び交う教室。しかし彼が教室に入ってきたとき、だれもがこう思っていたことだろう。「チュウゴク人ぽくない」と。それもそのはずである。まだ体も十分に発達していない九才の彼は日本人の私たちと目立った身体的差異はなかったのである。さらには同じアジア圏出身であり、肌の色や瞳の色、髪の色などは私たちと大差はなく、見た目の特徴の差など微々たるものであったため、小学生の私たちにわかるはずもなかったのである。私たちとどこも変わらないチュウゴク人の彼の登場により、熱を帯びていたクラスの空気も少しずつ落ち着いていった。そんな空気をよそに担任は彼の紹介をした。そして最後に彼は精いっぱいの身振り手振りで「これからよろしくお願いします」と言った。中国語で話されたその言葉を私たちが聞き取れるはずもなく、異国から来た精いっぱいの彼のあいさつを私たちは「変な言葉だ」と言って笑いの渦の中にかき消したことを覚えている。私たちと彼との違いは一つ、日本語が話せないことだけだった。 

小学生とは不思議なほどに適応力があり、異国から来た彼と打ち解けるまでそう時間はかからなかった。分かり合うための御託は必要なかった。彼と目が合って、「こっちへおいで」とうなずいて手を広げるだけでみんなで仲良くサッカーや野球ができた。そこにチュウゴク人の彼はいなかった。いるのは楽しそうに校庭を駆け回る私たちの友人としての彼の姿だけだった。私たちは目と目が合って、一緒に遊ぶだけでお互いのことを理解できた。そこには人種も言語も性別も政治的思想も歴史的背景も、何一つ介入しない。そんな重たい鎧を小学生の私たちはまだ装着せずに、短パンとティーシャツだけで彼と真っ向からぶつかり合った。もしかすると、重く硬い防具など着けない方がお互いがお互いを傷つけないことを私たちは理解していたのかもしれない。 

いつから日本や中国、世界といった基準で境界線を決めてしまうようなつまらない人間になったのだろうか。小学生の頃の私たちが言語の違いを笑い飛ばしたように、人種の差をボディランゲージで埋めたように、歴史的背景など校庭に必要としなかったように、国家間の隔たりなど気にも止めない時代がわたしたち日本人にもあったのではないか。大人になっていくにつれて、ぴかぴかの制服やしゅっと伸ばされたスーツを身にまとっていくにつれて、私たちは「日本」という重たい鎧を身に纏って世界を見渡すようになる。裾の汚れた短パンとよれよれのティーシャツだけでいた方が簡単に世界と向き合えたのではないだろうか。 

そうして私はまた彼のことを思い出す。「みんなありがとう。またね」そういって彼は小学五年生の夏に関東の方へ引っ越していった。転校すると言った時の彼の顔は少しだけ歪んでいて、涙で瞳もうるんでいて不格好だったが、確かに彼は笑っていた。「分かり合えてよかった」と彼が言っているようでもあった。 

私は、あの頃のティーシャツ短パンの勇者を誇りに思う。

 

人民中国インターネット版2016年9月

 

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