一人の中国人留学生から広がるイメージ
明瀨良治
授業が終わり、私はいつも通り吹奏楽部の練習へ向かった。普段なら音楽室の扉の向こうから多様な楽器の音色が聞こえてくるはずだったが、その日は違った。いぶかしく思いながら私が着席すると、顧問の先生が突然、新入部員を紹介すると話し出した。その途端、私を含めた部員全員が一斉に驚いた。それもそのはず、顧問の先生の後ろから現れたのは、中国から来たとても大柄な留学生の男子生徒だったのだ。
彼の名前は宋仕喆。日本の力士のような立派な体格だけでなく、彼の日本人となんら変わりない流暢な日本語能力に私たちは驚かされた。部員たちの宋君への自己紹介が始まり私の番が来た。顧問の先生が私にすかさず言ったのは、「中国語でね」という一言。吹奏楽部で中国語を選択履修している生徒は私しかいなかった。その当時、私は中国語を学び始めて2年目にもなっていたが、とっさに中国語のフレーズが出てこず固まってしまった。結局その日は、彼の流暢な日本語の自己紹介に対し、私はしどろもどろの片言の中国語の単語を並べるだけで終わってしまった。
数日後、中国語を勉強している私に親近感を持ってくれたのか、宋君は私に「トランペットを吹いてみたい」と話しかけてきてくれた。私の担当もトランペットだったので、ここから彼との距離が一気に縮まった。彼の立派な体格から奏でられるトランペットの音色は力強く、技術はメキメキと上達していった。パート練習では、私がトランペットの技術を教える時間でもあったが、授業で習った中国語を本物の中国人に実践的に試してみる絶好の機会でもあった。本来なら宋君の流暢な日本語で意思の疎通はすべてまかなえたのだが、身に付けた単語をなんとか組み合わせて一生懸命伝えようをする気持ちを汲んでくれてか、私の支離滅裂な中国語に彼はいつも辛抱強く付き合ってくれた。彼は何度も何度も首をかしげるジェスチャーを繰り返しながら、私のつたない中国語を一生懸命聞き取ろうとしてくれた。そのような時、実際の年齢は私よりも下であった宋君が、なぜか自分よりも人生経験が豊富で、人間的にとても大きく感じたものだ。同時に、彼の生まれ育った中国という雄大な国が、とてつもなく偉大で魅力的に思えるようになっていった。
市内の保育所でのクリスマスコンサート、甲子園のアルプススタンドでの演奏、各コンクールへの参加を一緒に経験していくうちに、いつの間にか中国人留学生ではなく、一人の部員として、一人の親友として彼と接するようになっていった。海を隔てた遠い場所で生まれ育った彼と、今こうして同じ時、同じ高校生活を送っていることがとても不思議で、無意味に憎しみ合わなくて良いこの時代に生まれたことを大変ありがたく思えた。
一年間の留学生活を終え、彼が帰国する日がやってきた。「一年間本当にありがとう。宋君に会えて良かった。一緒にいろいろなことを体験できてよかった。宋君の優しさを僕は忘れないよ」こみあげてくる涙でうまく話せない私の途切れ途切れの言葉を、彼は一年前の出会ったあの日と同じように、「うん、うん」とうなずきながら辛抱強く聞いてくれた。
彼が帰国する直前、宋君は私だけにこっそりと手作りのお守りをくれた。彼の優しさが詰まったそのお守りは、きっと私のこれからの健康や学業成就を祈願するだけでなく、私たちの国境を超えた友情が永遠に続くようにという祈りが込められているのだろう。彼の優しさが詰まったお守りを握りながら、私は彼の大きな愛に包まれたような気持ちになった。
私が出会った宋君という一人の中国人留学生から、私の中国人全体に対するイメージが大きく広がった。メディアを通じて、中国という国や中国人について見聞きすることはあるが、私は実際に自分が関わり交流し感じたことが真実だと信じている。私の出会った宋君は間違いなく日本や日本人が大好きで、偏見にとらわれない人間愛溢れるおおらかな人物であった。私はこのイメージを家族、友人、知り合いの人にどんどんと伝えていきたい。私を包んでくれた彼の優しさと愛が、私の関わる全ての人にどんどんと広がっていき、いつか地球全体を覆っていくことを願いながら。