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彼も人なり、我も人なり

 

安部晶子

ストイックな仕事の鬼。それが彼女達の最初の印象だった。

私は以前、四人の中国人研修生と共に働いていた。働き始めて半年ほど経った頃、彼女達が私のアパートに来ることになった。普段生活している宿舎の建て替えが始まったのだ。そして、五カ月間の賑やかで刺激的な同居生活が始まった。 

食事は多くの発見があった。彼女達の作る料理は、味の素や鶏ガラベースの味付けで私も違和感なく食べられたが、使う油の量が全く違う。スープを作る時は、揚げ物でも作るのかと思うほどの量の油をお湯に注ぐ。 

一方で、彼女達からすると日本食は甘いらしい。肉じゃが、牛丼、その他しょっぱいと思われる食べ物が甘く感じて美味しくないと言っていた。醤油、砂糖、みりんの味付けが合わないと思われる。それを知らずに私はカレーを作ったことがある。とれたてのミニトマトとよく炒めた玉ねぎを入れ、自然な甘みを感じる渾身のカレーだったが撃沈した。甘かったのも良くなかったが、何より、カレー好きな人がほとんどいなかった。 

テレビはあまりつけなかった。中国関連のニュースは暗い内容が多く、政治や戦争の話になると雰囲気が悪くなるからだ。その年は戦後七十年を迎えた年だった。皆で、中国で行われた軍事パレードを見ていた。抗日戦争勝利七十周年。その時初めて、中国ではそう名前が付いているのだと知った。正直私は、戦争に対して被害者意識が強かったが、中国人からすれば戦争中の日本人は残忍な侵略者だったのだ。決して全員が同じ認識ではない。それを意識しなければならないと強く思った。 

だからといって彼女達が心の底から日本人を嫌っているわけではない。彼女達は親切で世話好きで、同居中も仕事中も私にとてもよくしてくれた。教えてもらった簡単な中国語で話すと喜んでくれたし、中国にいる家族や友人と話をさせてくれた。なにより嬉しかったのは私の地元、福島の米を美味しいと言って食べてくれたことだ。日本国内でも未だに敬遠される福島産。当然、彼女達にも福島=原発というイメージはあった。知ったうえで食べてくれたことに言葉にできない嬉しさを感じた。 

彼女達が私に与えた影響も大きかった。初めの頃は彼女達のたくましさや順応力に圧倒されていた。仕事を卒なくこなし、日本人とのやりとりは片言ではあるがしっかり日本語で話す。職場の主力だった。私はといえば、私も片言の日本語で話し、作業も彼女達についていくのが精一杯だった。片言で話している場合か、彼女達の凄さに感心している場合か。彼も人なり、我も人なり。この言葉にならって私も頑張らなければいけない。と思わせてくれた。 

彼女達の帰国後ではあるが、中国語の資格を取得した。少しは中国語で話せるようになったが彼女達からすればきっと、片言の中国語だろう。いつか中国で皆と再会したい。その時は思いっきり中国語で話せるように、私はこれからも中国語を学び続ける。 

彼女達と過ごした日々で、国という壁を感じたこともあった。しかしそれ以上に、私達の個人としての関係を強めてくれた。仕事もプライベートも常に一緒にいたおかげで彼女達の人間味溢れる一面にもたくさん気づくことができ、仕事の辛さや達成感など、同じ気持ちを共有した。そこに人種の違いも違和感も、感じたことはなかった。

中国人も日本人も、同じ一人の人間だということを忘れてはいけない。そういう意味でも私達は、彼も人なり、我も人なり。なのだ。

 

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