中国への思い
宮村友里江
私は、自分はメディアの情報でしか、中国のことを知らないと思っていました。
“中国は、経済が大きく発展し、今や世界経済に多大な影響力を持つ、人口約13億7千万人の超大国”。
このような中国は、私にとっては「外国」であり、「異国」でした。
そんな私は、この作文コンクールに出会い、改めて3つのエピソードを思い返しています。
4月から、仕事の一環で海外の方とメール等でのやりとりする機会ができ、この夏、中国で大ブレイクしている女性ブロガーを職場にお招きしました。なぜ彼女が人気なのかを調べてみると、彼女の人気の理由には共感するところが多くありました。彼女の美貌と、コミカルな声やしぐさとのギャップ。演技のテンポのよさ。これは日本人でも話題になりそうな要素です。実際にお会いして、言葉はほとんどわからなかったですが、それでも彼女の表情やしぐさから、彼女の伝えたいことが理解できました。言葉の壁はそこまで問題じゃないのかもしれません。
6年ほど前通っていたパソコン教室の同じクラスには、中国出身の女性がいました。明るく、いつも笑顔で愛らしい彼女はクラスの人気者でした。単身熊本に移住し、当時は一児のシングルマザーとして、熊本で就職するためにその教室に通っていた彼女とはよく食事に行き、恋愛や仕事の相談をしては励まされていました。彼女といる時の私には、「日本人」と「中国人」という意識はなく、友人として彼女を慕っていました。彼女のアドバイスはいつも的確で、前に進むための言葉をかけてくれていました。「友里江、大丈夫。時がくれば道は開けていくから。今起きていることは、これはこれでしょうがないこと。時に任せて流れていけばいいのよ。」彼女から言われた言葉の中でもこの言葉は特に印象的で、社会人として初めてのことが多く、人の視線を気にして小さいことを心配ばかりしていた私をとても安心させてくれました。今でも、目先のことに捕われて焦りそうになると、この言葉を思い出して深呼吸をします。よく、「文化の違い」や「価値観の違い」と言いますが、それでも「考え方」には万国共通する要素はきっとあるのだと思います。
そして、私の最も身近な存在である祖母のエピソード。祖母は戦時中、中国にいたことがあります。農家だった祖母が、祖父に連れられて全く知らない土地へ行き、祖父の帰りを家で待ち、ひとりで過ごすことが多かったそうです。戦時中で緊迫した中でも、現地の方とはこう言葉を交わし、笑い合っていたそうです。「あなたの言うこと、私はわからない。私の言うこと、あなたはわからない。しょうがないですね。」「ニー」「ソー」「メイバンファ」。「あなた」「私」「しょうがない」。わからないものはしょうがない。それでも助け合って生きましょうと、食べ物を分け合ったり、生活用品の貸し借りをしながら暮らしていたと聞いています。心細かったはずの祖母ですが、「しょうがない」という言葉には何度も助けられたと言っていました。
コミュニケーションをとるうちに、言葉はわからなくても、祖母と現地の方との間には、「外国人」同士のやりとりを超え、人間同士のやりとりとなったことでしょう。
私のエピソードのひとつひとつは、本当にささやかなものですが、日常の中で中国に思いを馳せるエピソードです。
テレビや新聞の政治的ニュースを見ると、必ずしも良いニュースばかりではありませんが、日常の中には、自然に流れる人と人との交流があります。
「わたしは中国のことを知りません」と前述しましたが、私の日常の中には、ちゃんと中国との関わりがありました。
国が違うというだけで、実際以上に高い壁を、自ら作り出してしまっていました。
特別視する必要はなく、一人の人間同士のコミュニケーションを考えることで、豊かな交流が広がるのだと、今、改めて思います。