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感。

 

鳴戸陽加

私の冒険は深夜から始まった。

大学2年の春休み、私は1人で中国に行き2週間のホームステイをする計画を立てた。滞在先は日本で知り合った中国人の友人の家で、山東省の淄博市という地方都市にある。深夜の羽田空港を離陸し、めざすのは省都の済南市だ。 

中国に行くのは初めてではない。大学1年の時、北京大学で1ヶ月間の短期留学を経験している。留学では、自分の語学力を再確認するなど、充実した毎日を送ることができた。とはいえ、ここでは周りに同じような日本人留学生が多く、比較的日本語を使う場面も多い。そのような環境に安心感を抱きながらも、どこか悩んでいた。私は自分だけの力で中国に行き、文化や言葉を学んだわけではない。本当にこれでよいのだろうか?そこで、どうしても自分自身で、留学でもなく観光でもない「普通の中国の暮らし」を体験してみたくなった。家族は一人旅に猛反対したが、何とか説得して実現にこぎつけたのだった。 

済南に着いたのは早朝で、空港は真っ暗、人影も少なく静まりかえっている。ホームステイ先の友人の両親が車で迎えに来てくれて、淄博市に向かった。空が次第に明るくなるにつれ、どのような場所なのかがはっきり見えてくる。沿道には葉を落とした並木が続き、建設ラッシュなのか新築の住宅が連なり、路上には土ぼこりが舞っていた。 

友人の両親とはメールのやりとりはしていたが、初対面なので会話は弾まない。頼みの友人は日本にいる。これから2週間も片言の中国語でやっていけるか不安だらけだった。でも家に着くとスリッパや歯ブラシやタオルなどが用意されていて、二人が私を歓迎してくれているのがわかった。 

淄博での私の朝はけたたましい音楽で始まる。近くに朝だけ営業する屋台があり、女の子が歌う曲を毎朝7時に流すからだ。朝ご飯は決まって「おかゆ」か「油条」で、必ず果物がついた。お父さんが東北地方出身のせいか、この家の家庭料理は濃い味つけでとてもおいしい。日本の中華料理とは少し違い、日本人にもどこか懐かしく感じる味だった。私の一番の大好物はお母さん手作りの「韮菜盒子」だ。作り方を教わったお礼に、私はカレーやみそ汁をふるまった。中国の普通の家のキッチンは、日本にはない調味料の香りがした。 

時には少し遠出もしたくなり、新幹線に乗ってひとりで青島に行ったこともある。淄博とはうってかわり駅前は賑やかだ。外国人が沢山歩いていて、日本で見慣れた店もある。中心部の道路はきれいに整備され、ビルが建ち並んでいる。大きなデパートに入ると新築の建材の匂いがした。少し歩くとキリスト教の教会など、ドイツの面影を残した場所がいくつもあって異国情緒にあふれていた。しかし、中心部からちょっとバスで移動しただけで、道路は未舗装となり、土ぼこりの街があらわれる。この街並みの落差は日本ではあまりみられない光景だが、中国の成長の可能性を感じた。この急激な変化こそ中国の良さではないのかと思う。 

「普通の生活」をしているうちに、最初はまったく聴き取れなかった山東弁混じりの中国語にも耳が慣れてきて、少しずつ会話もできるようになった。「你在干什么?」ではなく「你在干啥呀?」、「为什么?」ではなく「为啥呀?」。「嗯呐」とうなずき「哎呀妈呀」と驚く。今まで知らなかった方言にも興味を持ちはじめた。 

こうして2週間の淄博生活はあっという間に終わった。留学の時のように何かを達成したわけでもない「普通の生活」だ。しかし、自分の五感を駆使して中国の人々と接したことで、暮らしのなかの色や音、匂いや手触りを誰よりも吸収できたと、今は自信をもって言える。自分の身をただ中国に置いてみたとき、私は何を見て、何を感じ、どのような気持ちになるのか。自分から「中国」を見つけて交流し、理解しようとしてこそ、はじめて自分が中国に何を求めていたのかを知ることができるのだ。

 

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