1980年代まで、都市に住む人々のほとんどは、住宅を勤務先の「単位」から分配され、安い家賃で住んでいた。
それが80年代末期になって、この住宅分配制度の改革が始まった。1998年には、福祉的な住宅の分配は完全になくなり、住宅は個人が買い取って売買できるようになった。
住宅の「商品化」である。いまでは、不動産業は中国経済の重要な柱の一つとなった。
しかし、住宅の価格はどんどん値上がりし、住宅を購入できない都市の低所得家庭がますます多くなってきた。そこで、そうした人々の住宅を保障するため、購入価格がかなり割安な「エコノミー住宅」や安い賃貸住宅などがつくられた。低所得者層にも「安住の門」が開かれたのである。
安い家賃の住宅団地
北京・東二環路の広渠門橋の西北に、賑やかな街の中でここだけは静かな一角がある。「京城仁合小区(住宅団地)」――ここは北京市で最初につくられた割安な賃貸住宅である。
今年52歳になる劉おばさんは、この「小区」に住んでいる。2004年2月、「小区」ができたばかりのころ、劉おばさんの一家は大喜びで、ここの55平方メートルの賃貸住宅に引っ越してきた。
それ以前に家族3人がずっと住んでいたのは、20平米にも満たない一部屋の平屋だった。室内は物で溢れかえり、2つ目のベッドを置く場所もなかった。そこで毎晩、20歳を過ぎた息子は、折りたたみ式のソファーを開いてベッドにしていた。
「あのころ、一番怖かったのは雨です。外が大雨なら、部屋の中は小雨。部屋中、湿ってしまうのです。冬になるともっと辛い。練炭をおこして暖をとっても、ちっとも暖まらない」と劉おばさんは当時を思い出しながら言った。
今は、劉おばさんが住んでいる住宅には、客間と2つの小部屋がある。台所やトイレもあり、暖房も暖かい。しかも家賃は安く、1平米当たり2.4元(約36円)だから、毎月132元で済む。もし普通の民間住宅を借りたなら、少なくとも毎月2000元はする。
「京城仁合小区」は、安い賃貸住宅区と「商品化」された私有の住宅区からなっている。賃貸住宅は400戸で、面積は30平米から60平米。足の不自由な障害者やお年寄りのために、20軒以上のバリアフリーの住宅が特に設計されている。
北京市の基準によると、家族一人当たりの年間収入が6960元以下で、一人当たりの居住面積が7.5平米以下の家庭のみが、安い賃貸住宅の入居申請ができる。そして安い賃貸住宅を借りられた家庭は毎年定期的に、住宅の状況、収入、家族構成、資産状態を関係部門に報告しなければならない。もし一家の収入が増え、1年間連続して規定の基準を上回ったなら、借用資格は取り消される。
劉おばさん一家のように、ここで賃貸住宅に住んでいる人たちはみな、審査に合格し、抽選に当たり、さらに順番を待って、やっと入居資格を得たのだった。
この「小区」はとくに地の利がよい。しかも普通の私有住宅区と同じような緑地や駐輪場、防犯扉などの設備があり、きれいで清潔だ。「小区」の管理会社の石主任によると、塀の外の私有住宅の「社区」(コミュニティー)は、1平米当たりの平均販売価格は14000元になっているという。 しかし、劉おばさんのように、安い賃貸住宅に住める人はやはり少ない。現在、一人当たりの住宅面積が10平米以下で所得が最低水準の住宅困窮家庭は400万戸ある。
これを低所得まで広げると、住宅困窮家庭は1000万戸に達し、都市の総戸数の5.5%を占める。2006年末までに、全国でわずか54万7000戸の最低所得の家庭が、安い賃貸住宅に入居し、居住条件を改善したに過ぎない。低所得家庭の住宅問題は、広く社会の注目を集めている。
2007年3月、温家宝総理は『政府活動報告』の中でとくに「政府は低所得家庭の住宅の困難を解決するよう関心を持ち、援助しなければならない」と提起した。
そして2007年8月13日には国務院(政府)が文書を公布し、2008年末までにすべての最低所得家庭の住宅を保障するよう、また2010年までに低所得の住宅困窮家庭にまでその範囲を拡大するよう要求した。
この目標の実現を保証するために、国務院はさらに、土地使用権譲渡の純利益の10%以上の資金を、安い賃貸住宅の建設に用いるよう定めた。
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