高炉の火が消えた
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火を落した5号炉の前で、記念のサインをする首都鉄鋼の製鉄工場の従業員たち(首都鉄鋼提供) |
北京の天安門から長安街を西へ17キロ、そこに首都鉄鋼がある。最盛期、五基の高炉を有し、年間鉄鋼生産量は800万トンを超す中国一の製鉄所であった。従業員はなんと24万人以上を数えた。
その首都鉄鋼の5号高炉が、2005年6月30日、半世紀近く燃え続けてきた火を落した。古参労働者の一団は5号高炉を取り囲み、長い間、そこを去ろうとはしなかった。別れを惜しんで劉慧さんはこう言った。「工場に入って30年以上にもなる。この高炉といた時間は、妻といた時間より長いんだよ」
首都鉄鋼がやむなく5号高炉を繰り上げて退役させたのは、北京の大気の質をできるだけ早く改善するためであった。このために多くの従業員が職場を離れなければならない。しかし労働者たちは口をそろえて言う。「北京オリンピックの青空のために、企業の未来のために、私たちは5号高炉の退役を支持します」
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2006年5月、首都鉄鋼のコークス化工場の2号炉が最後の生産をして停産した(首都鉄鋼提供) |
2005年2月、中国国務院(政府)は『首都鉄鋼集団の移転、構造調整と環境整備に関する計画』を承認した。この計画によって、首都鉄鋼は5号高炉に続いて2号コークス炉の生産を停止した。今年末には、オリンピック開催前に400万トン減産するという目標を達成するため、二つの主力製鋼工場の一つである第三製鋼工場が生産を停止する。
この工場はかつて、中国で最初に酸素トップ・ブロー転炉で鉄鋼生産を始めたところである。1992年に大修理、改造されて、近代的な製鋼工場になり、年間300万トンの優良鋼材を生産してきた。
構造的な三つの問題
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首都鉄鋼は環境保護を重視し、庭園を工場敷地内につくった。庭園内には群明湖がつくられ、その入り口には牌楼(鳥居型の門)がある |
首都鉄鋼の移転は、単に首都鉄鋼自身の発展や北京オリンピック開催に必要であるためだけではない。もっと深い理由は、中国の鉄鋼業全体の発展の現状に基づいて、「科学的発展観」を徹底的に実行する必要があるからである。
中国の鉄鋼業は1990年代以後、急速に発展し、鉄鋼生産量は世界一位となった。しかし、依然として多くの問題が存在している。
まず、多くの鉄鋼企業の設備はレベルが低く、エネルギーと資源の消耗が激しく、汚染が深刻であり、そのうえ製品の多くは粗鋼であることだ。このため自動車用の鋼板などの高級な鋼材の多くは、輸入しなければならない。
次は、集中率が低いことだ。中国には数千社の鉄鋼企業があるが、トップの10社の生産能力が全国の総生産能力の30%を占めているにすぎない。日本や韓国、欧米では、70%以上を占めている。
第三に、鉄鋼企業の分布の問題がある。中国の鉄鋼企業は大部分が大都市や中都市、あるいは鉱山などの資源が出る地域にあるため、エネルギーと輸送の逼迫を引き起こしている。
移転によって首都鉄鋼は、こうした問題を解決しようとしているのだ。国内外のマスコミは、首都鉄鋼が北京オリンピックのために貢献していることを大いに報道した。しかし、首都鉄鋼の移転は大勢の赴くところであり、北京オリンピックが移転のプロセスを加速したに過ぎないと言える。
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