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昔も今も文化の発信地 鼓楼・鐘楼周辺

 

中軸線に沿って北へ向かい、地安門大街を抜けると、かつての中軸線の北終点「鼓楼・鐘楼」に到着する。鼓楼・鐘楼の西南は「什刹海」、東南は「南鑼鼓巷」。ここは昔、高官や貴族が集まって暮らす地域だったが、今では若者に人気のオシャレスポットとなっている。



 

朝は鐘、夕べは太鼓

 

鍾楼の下で朝の体操をする市民たち
鼓楼・鐘楼はこれまでずっと、古い北京のシンボルとみなされてきた。東単と西四と鼓楼は、もっともにぎやかな市街だったので、庶民の間では「東単西四鼓楼前」と言われていた。

 

清代、高官や身分の高い人が邸宅を構えて暮らした什刹海沿岸はさらに栄え、飲食店や茶館、金融機関が次々とできた。露天商や民間芸人も集まり、遊覧客も多く、民俗的な色合いが濃い場所だった。今日でも、昔ながらの北京というと、多くの人が鼓楼・鐘楼を想う。

 

鼓楼と鐘楼はまるで二人の武士のように北京城の正北を守っていた。その任務は時を知らせることで、「朝は鐘を鳴らし、夕べは太鼓を叩く」といわれていた。

 

昔は、朝7時からは鐘を鳴らして時を知らせた。そのため、昼間時刻を尋ねるときは「幾点鐘?」。夜七時からは太鼓を叩いて時を知らせたため、夜は「幾更鼓?」と聞く。

 

鐘楼には高さ5.5メートル、直径3.4メートル、重さ63トンの銅製の鐘があった。その鐘の音は丸みがあってよく響き、周囲数10キロまで届いたという。

 

鼓楼には太鼓が25台あり、最大の太鼓は「年鼓」と呼ばれていた。残りの24台はそれぞれ中国の24節気を表していた。しかし、これらの太鼓はもう存在しない。今ある25台の太鼓は、清代の嘉慶年間の太鼓の寸法に照らし合わせて、2001年に新しく作ったものだ。毎日2回、太鼓を叩くパフォーマンスが行われるが、時を知らせる役目はとうの昔になくなった。

 

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