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北京の春をあでやかに装う玉三郎の崑劇公演


 

玉三郎と友人の靳飛(左)。靳飛は今回公演の監督である(写真・耿直)

  日本を代表する歌舞伎の女形、坂東玉三郎が5月の北京に、そのあでやかな姿を見せる。演ずるのは、中国の古典劇「崑劇(崑曲)」の有名な出し物である『牡丹亭』と歌舞伎の『楊貴妃』。中国の役者たちと合同で、北京・湖広会館で10回、公演する。

 

中国で崑劇が誕生してから600年。その歴史上初めて、中日の役者による合同公演が企画された。3月には京都の南座で、20回の公演が行なわれた。

 

玉三郎が自ら追求してきた「透明感」に富んだ日本の美と崑劇の伝統の美が融合し、中国の観客をきっと魅了することだろう。(文中敬称略)

 

崑劇との深い縁  

 

中国の芝居に対し玉三郎は、特別な感情を抱いている。祖父の十三代守田勘弥は、1923年に日本を訪問した中国京劇の名優、梅蘭芳といっしょに舞台に立った。守田家はそれから中国の京劇と深い縁をもち、梅蘭芳とも厚い友情で結ばれた。

 

玉三郎は子どものころから、父の勘弥から中国の京劇の素晴らしさを聴いていたので、梅蘭芳のことを熟知していた。玉三郎は梅蘭芳と会ったことはなかったが、彼から深い薫陶を受けた。

 

崑劇『牡丹亭』(写真・李智勇)
   20歳になったとき、「将来、何を演じたいか」と父に尋ねられると、玉三郎は「歌舞伎のほかには『楊貴妃』を演じたい」と答えた。梅蘭芳が『貴妃酔酒』の中で演じた楊貴妃がもっとも有名である。

 

 これを聞いた父親は「大口を叩いてはいけない」と諭し、梅蘭芳がいかに優れているかを再び語って聴かせた。しかし玉三郎は心の中で「梅蘭芳の足跡をたどりたい」と想い、その想いが薄れることはなかった。

 

1987年、玉三郎はわざわざ北京にやって来て、梅蘭芳の息子の梅葆玖から京劇の『貴妃酔酒』の歩き方や袖を払う仕草を学んだ。そして後に演じた歌舞伎の『玄宗と楊貴妃』の中でこれを応用し、自分の当たり芸の一つに加えた。

 

玉三郎は後になって、『貴妃酔酒』が崑劇の影響を受けていることを知った。崑劇は、日本の能や歌舞伎と同じころに生まれた。玉三郎は崑劇にも深い興味を持ち、崑劇の代表作『牡丹亭』に注目するようになった。

 

2007年、友人の東大特任教授、靳飛の仲介で玉三郎は中国・蘇州に行き、本場の崑劇の『牡丹亭』を観賞した。そして崑劇の名優、張継青から主役の「杜麗娘」の役づくりを学んだ。

 

さらに周到な準備を重ねて今回、坂東玉三郎が主演し、松竹、蘇州崑劇院、北京夢花庭園文化伝媒有限公司が中日共同で制作した『牡丹亭』が、ついにできあがり、上演の運びとなった。

 

 古典芸術の精神を理解  

 

玉三郎に節まわしを指導する張継青(左)(写真・陸凱)

  玉三郎は蘇州が好きだ。蘇州の空気はたおやかで、快適である。玉三郎はここで生まれた崑劇が好きだ。「崑劇の音楽はかくも美しく、色彩はかくも優しく、文学的内容はかくも深く、厚い」と彼は言う。

 

玉三郎に言わせれば、蘇州や崑劇には一種の奇妙な親近感がある。同様に玉三郎も中国の役者たちに似たような感覚をもたらした。

 

中国の有名な崑劇芸術家の許鳳山が玉三郎に会ってからの第一声は「あなたは、きれいな目をしている」であった。玉三郎の両眼は、梅蘭芳の目ときわめてよく似ていて、「杜麗娘」を演ずるのにもっとも適している。

 

演技の風格と演技の方法が特別に要求されるため、『牡丹亭』はほとんどすべての崑劇役者の必修演目だが、「杜麗娘」をうまく演じられる役者はきわめて少ない。これまでに、梅蘭芳、蔡瑶銑、華文蔬、張継青らわずか数人が演じた「杜麗娘」だけが、観客に評価されたに過ぎない。

 

玉三郎と深く付き合ううちに、許鳳山は驚き、あきれた。「まったく中国語を解さない日本人が、中国の古典芸術が好きになり、しかも完全に、劇中のあらゆる人物が歌う歌詞の意味をはっきりと理解できている。歌や台詞もうまい。これは予想外のことだ。多くの中国の若い役者は、自分で歌う歌詞さえ完全には分からないと思う」と言うのである。

 

崑劇が難しいことは、みなが認めている。玉三郎は『牡丹亭』をうまく演ずるために、大変な修行をした。今年一月、蘇州で行なわれた本稽古のとき、張継青はただ「びっくりした」という言葉で、自分の見た玉三郎の芝居の印象を表現した。

 

玉三郎にとっては、崑劇の台詞は非常に難しい。去年6月に稽古を始めたが、中国語が分からず、崑劇を学んだこともない玉三郎を早く役になり切らせるために、張継青が自分で歌や台詞を録音し、口の形を撮影して日本に送り、玉三郎に学ばせた。

 

玉三郎は録音やビデオを無理やり記憶し、練習を繰り返した。仕事と睡眠の時間以外、彼は大部分の時間、録音を聞いていた。稽古の成果は目覚しく、玉三郎の進歩はとても速かった。また登場人物に対する理解や競演の役者、音楽との調和も素晴らしかった。張継青は「舞台での玉三郎の芝居で、他の脇役の役者たちがみな未熟に見えた」と言っている。

 

監督の靳飛は、こう言う。「『牡丹亭』をうまく演ずるために、玉三郎は早くから中国文化を理解しようと、『論語』『孟子』『荘子』『老子』を読んだ。またほとんど毎日、一時間半も北京に国際電話をかけてきて、私に『牡丹亭』の歌詞の意味を一つ一つ解説させたのです」

 

劇団の中国人通訳が玉三郎の家を訪問したとき、門を入るやいなや見えたものは、テレビに映し出されている張継青の口の形のビデオだった。玉三郎は彼に「これは毎日、見なければならないのです」と言った。

 

 

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