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北京の春をあでやかに装う玉三郎の崑劇公演


日本の美を溶け込ませる
 

 

「離魂」の中で、玉三郎(中央)は、自分の解釈を演技に取り入れた。メーキャップを比べると、細かい違いを見つけることができる。中国の役者は、眉毛の角度が玉三郎に比べて明らかに大きい。これは中日両国の伝統芸術におけるいささかの違いを表している(写真・龐林春)
 本稽古の間、たくさんの崑劇界のベテランたちが、うわさを聞いて見学にやってきた。

 

笛や笙が奏でる抑揚ある音のなか、玉三郎扮するヒロイン「杜麗娘」がおもむろに登場する。玉三郎は『牡丹亭』の五幕の内、「驚夢」と「離魂」の二幕の「杜麗娘」を演ずる。「驚夢」の恋が実ったあとの恋情の起伏、「離魂」のもの寂しい情の表現は、まさに「杜麗娘」になりきったものだといえる。本稽古が終わると、劇場のなかは嵐のような拍手が沸き起こった。観ていた人たちは口をそろえて、玉三郎の演技を賞賛した。

 

許鳳山は「玉三郎が学んでいるのは張継青版の『杜麗娘』ですが、『張版』をそのまま身につけようとしているのではないことが、はっきりと感じられます。多方面から養分を吸収し、自分の心のなかの完璧な杜麗娘を創りあげているのでしょう」と話す。

 

「玉三郎の『杜麗娘』は『離魂』の一幕で、死ぬ間際にもう一度母親にぬかずいて、母親と侍女の春香を軽く押し、別れを告げる所作は、彼が自分で加えたものです。これには日本人が深く認識している『無常』の感覚が満ちあふれている」と監督の語る。

 

女形の養成に一役買う  

 

崑劇や京劇の世界はかつて、男旦(女形)の芸術形式をずっと採用してきた。1957年以降、国家が男旦の養成を全面的に廃止したため、優れた男旦俳優の多くが転向を余儀なくされ、男旦の伝統はしだいに消滅した。しかし10年前ごろから、各方面の努力によって復活した。  今回の『牡丹亭』はすべて男旦によって演じられる。玉三郎とともに「杜麗娘」を演ずるのは、中国国家京劇院の劉錚と中国芸術研究院で勉強中の董飛という若い男旦である。

 

許鳳山は「昔の『老が新を率いる』という伝統が、玉三郎と二人の若い男旦の間で現実になっています。しかも、玉三郎がこの二人に教えているのは、演技だけなく、男旦たる者としての厳格かつ特殊な条件であり、これには喜びと安堵を感じます」と話す。

 

玉三郎は、男旦を中日合作版の『牡丹亭』に入れることで、さらに広い地域に、より深く崑劇を紹介したいとしている。「私の『牡丹亭』が、観客を夢のような時間と空間のなかに誘い、独特な雰囲気を感じてもらえたら幸いです。『驚夢』と『離魂』の情感を味わっていただきたい」と語る。

 

著名な京劇男旦である梅葆玖は、玉三郎が主演する『牡丹亭』に強い関心を抱いており、5月の北京・湖広会館の公演の際に玉三郎と会えることを楽しみにしている。「京劇役者は崑劇を学ぶべきです。崑劇を学んだ身で京劇を演じるとより美しい。しかし崑劇を学ぶのは簡単なことではありません。崑劇は歌いながら舞うので、1年や2年では学べるものではありません。若い役者が長い時間をかけて一幕の崑劇を学ぼうとしても、不可能に近いのです。この点からいうと、玉三郎のような立場で『牡丹亭』を学ぶのはさらに難しく、実に賞賛に値します」と話す。

 

 『楊貴妃』で中日交流  

 

歌舞伎の『楊貴妃』の中で、「方士」役を演じる中国の役者、周雪峰(手前)を指導する玉三郎。彼は周雪峰に「緻密に、緻密に、もっと緻密に演じなければならない」と要求した(写真・龐林春)

 今回の公演では、中日合作版の『牡丹亭』のほか、中日合作の歌舞伎の『楊貴妃』も上演される。3月の京都の南座の公演では、『楊貴妃』は中国語の台詞で中国の役者が演じた。しかも蘇州崑劇院の周雪峰が「方士」に扮し、中国の演奏家が中国の楽器を使って伴奏。外国語の台詞が使用され、外国の役者が演ずるのは、歌舞伎が誕生してから400年来、初めてのことだ。

 

このため、玉三郎は自ら周雪峰の舞台稽古を指導した。監督の靳飛は舞台稽古の音楽や歌を担当した。靳飛率いる創作チームは2月13日から19日、6日間も徹夜して『楊貴妃』の中国語の台詞を作った。中国研究者の刈間文俊・東京大学教授によると、中国語の台詞はもとの劇の精神をよく表している。もとの劇の演技を損なわずに創作するのは、技術的に非常に難しい試みだという。

 

崑劇と歌舞伎という二つの世界無形遺産は、人々のたゆまぬ努力を通し、絶えず衝突し、交流し続けているのだ。

 

「迎春の旅」を期待  

 

中国の胡錦涛国家主席の日本訪問も近いという。中国文化部(省)はこの公演を重要視している。

 

このような民間の友好交流は、両国の政治や外交にプラスの影響をおよぼす。しかもその影響力は、政治や外交では取って代わることができないものだ。

 

上海の日本国総領事館の隅丸優次・総領事は「胡錦涛主席が訪問する前に、中国の民間から自然にうまれた文化交流は、両国の友好往来によいムードを作ることでしょう」と話す。

 

中日の巨匠たちが古典劇の魅力を深く巧みに解釈し、互いにぶつかり交流することで発した火花が文化間の相互理解の道を明るく照らす。これに両国人民の厚い友情が加わり、中日の文化・伝統交流の歴史にすばらしい一ページを刻むことだろう。 (姜斯軼=文)

 

『牡丹亭』  『楊貴妃』


 明代の劇作家・湯顕祖の代表作。

貧しい書生の柳夢梅は、花園で、ある女性と出会う夢を見た。同じとき、遠く離れた場所では、幼いころから両親に厳しくしつけられた官吏の娘の杜麗娘が『詩経・関雎』の一章を読んで、春のもの悲しさを感じていた。そして花園を遊覧した後、夢を見る。夢のなかで柳の枝を持った書生と出会い、2人は花園でデートをする。夢から覚めると、書生の姿はなく、杜麗娘はこの書生のことを想うあまり、病に伏してしまう。いまわの際、病気で弱った体で描いた自画像を花園の梅の木の下に埋めてほしいと侍女の春香に頼む。

 

それからのち、科挙の試験を受けるために上京した柳夢梅は、偶然、杜麗娘の描いた絵を手にし、夢の中で会った人が現実に存在していたことを知る。そして日夜、その絵に呼びかけた。神はそれに感動し、杜麗娘をよみがえらせた。そして二人はめでたく結ばれる。

 

原本は全55幕であるが、中日合作版はそのなかの「遊園」「驚夢」「写真」「離魂」の四幕と、乾隆帝時代に宮廷で上演されていた版の「堆花」を上演する。

 


  唐代の玄宗皇帝と楊貴妃のラブストーリーを下敷にして、坂東玉三郎が作家・夢枕獏に頼んで白居易の『長恨歌』を取り入れ、さらに金春禅竹の能楽『楊貴妃』の一部を融合させて作った。

 

楊貴妃が死んでしまったあと、日夜彼女のことを想った玄宗皇帝は、国外の仙人の山に方士を派遣し、楊貴妃の姿を探させた。方士はようやく仙人になった楊貴妃を見つける。楊貴妃は玄宗皇帝との幸せのひとときを懐かしみ、玄宗から賜った金のかんざしを方士に証拠として持ち帰らせる。無常と変幻を感じた楊貴妃は仙人の山に留まる。

 



 

 

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