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夕日のもと、水墨画のような関麓村 |
中国安徽省南部の丘陵・山岳地帯には、内外に知られる景勝地・黄山のほか、きわめて特色をもった明・清代の古い民家が数多く残されている。隣接する浙江省西部や江西省北部とともに、古代の「徽州」に属していたため、それらの民家は学者たちに「徽派建築」と称されている。県西武郷にある関麓村は「徽派建築」の残る集落で、徽商(古代徽州の商人)の血縁者が集まる典型的な場所である。
黄山は、古く「イ山」と呼ばれた。そのため、イ県はそこから名を得た。県内に連綿とつづく山々は黄山と一体となり、あたかも「世外桃源」(俗世間外の桃源郷)のような環境をつくり上げた。晋代の文学者であり詩人の陶淵明は、まさにここの環境や風情に啓発されて、不朽の名作『桃花源記』を書き上げた。そのため、イ県は古くから「桃花源にある家」と称えられている。
県内には現在、ほぼ完全なまでに保存されている古い民家が三千六百棟ある。うち西逓、宏村という集落は、世界文化遺産リストに登録されている。そして、イ城(県庁所在地)の西南八キロに位置する関麓村は、「古イ桃花源」にある一粒の真珠だといえる。
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華やかに飾られた「八」の字型の門 |
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関麓村は五代十国の後唐時代(923~936年)に創建され、すでに千年以上の歴史をほこる。「汪」姓を主とする人々の集まる村落である。『官路汪氏族譜』によれば清の乾隆時代、ここに汪昭 という人がいた。八人の子宝に恵まれて、後に「関麓八家」と呼ばれるようになった。はじめは「春満庭」という古い屋敷に住んでいたが、やがて行商のため、ほとんどが出払うようになった。彼らは江蘇省や浙江省、安徽省などの地で特産品を買いつけ、長江下流へ持ち運んで売り、さらに売上金で日用品を買い、もとの地に持ち帰っては売っていた。そうして商売は徐々に盛んになった。兄弟たちが相次いで春満庭の周りに家を建て、世に聞こえる「関麓八家」という連体古民家(家々がつながっている建築群)が造られていった。それは連体古建築を代表する建造物となっている。
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