関麓村には現在、明・清代の建築物が三十数棟あり、「関麓八家」がその代表とされている。南向きに建てられており、主に「武亭山房」「春満庭」「吾愛吾廬」「学堂庁」「臨渓書屋」「大夫第」「瑞靄庭」「安雅書屋」など、合わせて二十棟の民家が建ち並んでいる。敷地面積は約六千平方メートル。
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寝室の出口 |
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二人用暖房具の「火桶」。実用的で石炭の節約にもなり、家族の和やかな雰囲気も増す
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正門を入ると左側が書房だ
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すばらしい環境の関麓村。村の前に小川が流れ、その源が武亭山麓であるため、武水と名付けられた。村の入り口に水面三千平方メートルの池があり、その形が弓張月に似ているため「月塘」と呼ばれている
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とりわけ「関麓八家」は、ハッキリとした特徴を持っている。
それは第一に、独立した八軒の民家が一体化していること。それぞれ中庭や客間、庭園を持ち、アンズの枝が壁を越え、幾重もの垣根が家を囲み、家屋や建物がつながり、渾然一体となっている。
第二に、邸宅の客間に金泥や彩色を施した絵が描かれていること。彩色画や木彫などはいずれも美しく、古いもので二百年以上、新しいものでも百年以上の歴史をほこる。それはいまでも目を奪うばかりに鮮やかである。
第三に、外へ出なくても他の家が望めること。それは敷地を節約するだけでなく、集落の管理にも有利であった。こうして「関麓八家」には、明・清代に同族が集まって住んだ特徴がよく現れている。
現在の関麓村には、徽商はもういない。ここに居住している人たちは汪家の末代であれ、後から入った他姓の者であれ、いずれも農業に従事している。
若者はそのほとんどが外へ出て、勉強したり、臨時工をしたり、商売をしたりしている。子どもが外で稼いだお金で、新式の家を建てる人もいる。村に残っているのは大部分がお年寄りだ。彼らは古い民家が気に入っており、昔の通りに草を刈り、牛を飼い、水田を耕し、小川で洗濯をしている。ここでの田園生活に慣れているのだ。
一方の若者たちは農業などには関心がなく、都会の生活を必死で追い求めているようだ。それでも古い民家の保護に対しては、理解と支持を寄せている。絶えず観光客が訪れるため、民家の文化的価値を理解し、それを誇らしく思っているのである。 (魯忠民=写真・文)
人民中国インタ-ネット版
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