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什刹海体育運動学校 世界チャンピオンの揺りかご

ここから巣立った金メダリストたち

 什刹海体校総合体育館の前にある芝生に、今にも飛び出そうとしている牛のような、天然の巨大な石がそびえ立っている。その巨大な石の下の黒い花崗岩の礎石には、張怡寧、羅微、馮坤、王涛……29人の世界チャンピオンの名前が刻まれている。これらの輝かしい名前をひとつひとつなぞりながら、彼らがここで勝利をめざして励んでいた過去に思いを馳せた。

張怡寧さんの執着心

卓球女子シングルスの世界ランキング一位の張怡寧


 199010月のある日、9歳の張怡寧は父の三輪車に乗って什刹海体校にやって来て、王碧玲コーチのもとで卓球の訓練を始めた。「ある研究機構がわたしの教え子を対象に能力テストを行った際の診断では、張怡寧が世に出て活躍する可能性は、後ろから2番目ということでした。ところが、この子は今やオリンピックで金メダルを獲得しただけでなく、世界ランキング一位でもあるんですよ」と、王コーチは微笑みながら語った。「この子の卓球に対する熱情、勤勉さや執着心がもたらしてくれた結果でしょう」

 張は1982年、北京の普通の労働者家庭に生まれた。両親は娘に何か特技を身につけてほしいと考え、武術、書道、ダンスや水泳などを習わせた。しかし、張はその中のどれにも興味をそそられなかった。ある日、父と一緒に卓球室に入った張は、たちまち跳んだりはねたりする小さくて白いピンポン球に惹かれた。その後、毎日のように鏡に向かってラケットのスイング練習を続けた。

 什刹海体校に入学した張は、午前中はクラスメイトと一緒に付近の学校で国語、数学、英語などの授業を受け、午後は夜まで4時間あまりの技術訓練を続けた。卓球は非常に面白いゲームだと思った彼女は、毎日同じ動作の練習を数百回繰り返しても、厭きることがなかった。当時、コーチは生徒たちに訓練日記を毎日書かせ、その日に体得したことをまとめさせていた。ほかの子はときどきごまかして怠けるが、張はまじめに書き続けるだけでなく、常に技術上の問題についてコーチに教えを請うた。生徒たちは週末のみ帰宅が許されているが、彼女はほかの子のように週末を心待ちにするようなことはなかった。しばらく卓球と別れなくてはならないからである。自主トレであろうと、ほかの人の練習相手になるときであろうと、全身全霊を傾け、あらゆる練習のチャンスを大切にした。こうして、張は入学してからわずか1年で、ほかの子を追い越し、難易度の高いループドライブの技術を習得した。

 普段から無口で、訓練や試合中となるとなおさらほとんど笑顔を見せないため、張は卓球界の「クールキラー」と呼ばれている。「親しい人と一緒にいるときには、気遣いのできる優しい子なんですよ。この子は幼いころからしっかりと自分の考えを持っていたし、自信も負けん気も強かった。過去に自分が負けた相手に出会うたびに、非常に興奮して、少しも臆することなく、相手に勝つことしか考えない、そういう子なんです」と王コーチ。1991年、10歳の張と仲間たちは什刹海体校の代表として、全国少年児童卓球大会の女子団体部門で優勝した。これは張の人生における初めての優勝経験であったが、彼女は微かに微笑みを見せただけだった。2004年アテネオリンピックの卓球女子シングルスで金メダルを取ったときに初めて、輝くような笑顔を見せた。什刹海体校での4年間を振り返って、彼女は言った。「とても充実した日々でした。あの学校のすべてを懐かしく思います」 

粘り強い羅微

24回アテネオリンピックテコンドー67キロ級の女子の金メダリスト羅微



 2004829日、北京時間の真夜中一時ごろ、羅微が対戦相手を制し、第24回アテネオリンピックのテコンドーで女子67キロ級金メダルを勝ち取った瞬間、学校中が沸き立った。

 瞬発力に優れた羅は、幼いころからハードル競走の練習に励んでいた。1998年のある競技中、思いがけずその優れた資質が北京テコンドーチームに注目され、すぐに什刹海体校に招かれて入学し、テコンドー選手としての道を歩み始めることになった。

 最初にチームに入ったとき、テコンドーの技術をまったくといっていいほど知らない羅は、先輩に「打たれる」ばかりの毎日だった。痛みに泣いたことも何度もあった。ひ弱で苦労知らずな彼女のことだからそろそろ限界で逃げ出すだろう、とチームメイトは皆思っていた。しかし、この少女は粘り強く、涙をぬぐい、歯を食いしばって、先輩たちに立ち向かっていった。

 「こんなこともありました。一万メートルを走った直後に階段を跳ぶトレーニング中に羅が、体力が続かず階段で転んでしまった。すねの傷口から、青白い脛の骨が見えたほどのひどい怪我でした。練習を中止するようコーチが指示したにもかかわらず、彼女は包帯で簡単に巻いただけで、歯を食いしばって最後の400メートルのラストスパートまで走り切りました」とチームメイトの劉華勝は振り返る。「諦めようと思ったことは、何度もありました」と羅微は言う。「チームメイトが拳と蹴りを繰り出すときのかけ声を聞くたびに、体の中からエネルギーがむくむくとわいてきて、自分自身に勝てるんです」。粘り強い性格のおかげで、チームメイトの彼女に対するイメージは改められ、やがて金メダリストとして壇上に立つことになったのである。

 羅が優勝すると、什刹海体校の李貴成校長は興奮ぎみに次のように生徒たちに語った。

 「羅微の金メダルは中国代表団の29個目の金メダルです。これで、前回のオリンピックの金メダル数、28個を上回りました」

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