長野県山岳協会と中国登山界との友好交流は、1981年の日本・中国合同登山研修会に始まった。
多くの高峰を抱える
中国は、世界で最も多くの高峰を持つ国である。世界の最高峰チョモランマ(エベレスト)を頂点として、第2位はチョゴリ峰(K2)。14座ある8000メートル峰の8座までが、中国国内か国境の稜線上にある。
ヒマラヤ、カラコルム、崑崙、天山の各山脈やその他の高峰を抱える中国だが、中国における登山の位置づけは、スポーツだけではなく治山治水、農林、地下資源、国防、民族など、日本の登山とは比較にならない必要性をもっている。
しかし、中国の登山界は、とくに「文化大革命」によって10数年の空白があったのも事実である。1976年に「文革」が収束し、1980年に中国が国内の山を外国の登山隊に開放したことで、時代は大きな転機を迎えることとなった。世界中から中国の高峰に登りたいとの希望が殺到したのだ。
しかし、中国登山協会としては外国登山隊への便宜供与と同時に、中国における登山指導者の養成も大きな課題であった。中国登山協会は、中国登山界の再建と近代化のための第一段階として、若手指導者の育成のため、広く世界の登山先進国の協力を求めた。
1972年、田中角栄首相が訪中して、日本と中国の国交正常化が実現し、これを機に、日本の登山界からも多くの申請が出された。次々と中国の高峰を目指す登山隊が出かけていく時代となった。
「中国を日本に呼ぼう」
実は、私たちも中国の山に登りたい夢は誰にも負けなかった。長野県は日本の代表的な山岳を有する山岳県である。しかし、当時、私たちは中国側に強力なロビーの持ち合わせはなかったし、そうした手法はあまり好きではなかった。
私たちは、中国登山協会に対して、日本・中国合同登山研修会を提案した。発想の原点は、「行きたい、登りたい」ではなく、「中国を日本に呼ぼうではないか」であった。そして、この計画は中国側のニーズに応えると同時に、長野県内の若手指導者を国際的な視野と環境の中で育成するのも目的であった。日中文化交流協会の村岡久平や、長野県日中友好協会、信濃毎日新聞社、そして、多くの長野県民からの応援や支援もあった。
中国がなぜ、登山先進国である欧州や米国を選ばずに長野という小さな相手を選んだのか。そうした疑問と驚きをよそに、この計画は、予想をはるかに上回る成果をあげた。
計画は、当初から10年間にわたって行おうというものであり、1年ごとに日本と中国の双方の山岳で、岩登りと氷雪の技術研修を目指すものであった。
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