胡同暮らしに魅せられて
楽しく愉快な大雑院の毎日
北京の街を縦横に走る路地、胡同。その両側を埋める伝統住宅、四合院の片隅で暮らし始めて5年近くになる。もっとも、四合院といっても、1つの敷地に何世帯もの家族が住む、いわゆる「大雑院」の一角だ。
大事な生活情報を教えてくれたり、郵便物を代わりに持ってきてくれたりと、隣人たちは外国人の私にとても親切に接してくれる。春節(旧正月)前夜に、隣のおばさんが、あなたは独り暮らしだから、と茹でたてのギョーザを届けてくれた時は、心から感動した。また、私は園芸に関しては下手の横好きに過ぎないのだが、それを見て取ったあるおばあさんは、わざわざ「2週間に1度水をやればいいだけの苗」をプレゼントしてくれた。不便な大雑院暮らしをとても楽しく感じる第一の理由は、こんな近所づきあいの豊かさにある。
街中の果樹園
このほか、歴史や自然が身近に感じられることも、四合院で暮らす大きな魅力だ。歴史の余韻を留める四合院は、遥かな想像をかき立てる。実際、興味深い歴史を経ているケースは無数にあり、私が北京で2番目に住んだ四合院も、ボロボロでこそあったが、かの西太后と縁のある建物だった。
あちこちの胡同を気ままに散歩し、古い建物の歴史を調べるのは実に楽しい。明清時代の氷の蔵や、牢獄の跡などが見つかったり、歴史的に由緒がある家の子孫の方に出会ったりすると、胡同が隠し持っていた豊かな表情に気づかされる。まるで歴史物語の海を泳いでいるような気分だ。
それに加え、四合院では、自然、とりわけ樹木とともに生活できる。通常、四合院には、2本以上の木が左右対称に植えられているが、我が下宿もナツメの木の下だ。お陰で夏は日光が木の葉に遮られて涼しく、冬は木の葉が落ちて日光が十分に入る。気持ちよく自然と共存する智恵がしっかり生かされているのだ。しかも、同じ敷地には柿、アンズ、ザクロ、葡萄の木などもあり、まるで果樹園さながら。四季折々の興趣が増すだけでなく、おいしい「収穫」にもありつけてしまう。
「昔ながら」の中の新しさ
もっとも、中国の人はおおむね、大雑院で暮らすのは貧しい人たち、と思っている様子だ。確かに大雑院では、各世帯にトイレがなかったり、隙間風や雨漏りに遭ったりする。だが住んでいると、全てが完璧ではないからこそ、住民同士の交流や助け合いも頻繁なのだ、ということに気づかされる。つまり、クーラーや自家用車の普及が大気汚染や地球温暖化をもたらすのと同じで、便利になれば失われるものも確実にあるのだ。
現在、古い胡同地区の取り壊しが大々的に進められていて、心痛む。失われ得るのは歴史的建築物だけではない。夕涼みや、おしゃべり、将棋などを通じて多くの住民が交流し、互いをいたわりあう現在の胡同的生活スタイルが消えることも、ある意味で貴重な文化の喪失だ。
大雑院の各家に、快適なトイレやシャワーがつく日は確かに待ち遠しい。だが、日々の暮らしの中に、隣人との交流とか、老後の豊かさ、自然との共存といった、今の社会に切実に求められる貴重な価値観が見つけられなくなる日、それこそが、胡同の生活が「貧しいもの」となる日だ、と思わずにはいられない。(ライター・翻訳者 多田麻美)0809
プロフィール | |
1973年静岡県生まれ。京都大学で中国文学を専攻後、雑誌の編集、記者の仕事を経て、フリーランスで記事の執筆や翻訳を手がけるように。芸術・文化関連の記事を中心に執筆。近々訳著『城記』(王軍著)を刊行予定。ペンネームは林静ほか。 | |
おすすめスポット | |
今行くべきお勧めの場所、それは保護地区外の、今後消失する危険が大きい胡同。もし強いて1カ所を挙げるなら、「官園」の一帯だ。ペット市場があり、老北京たちの奥深い趣味の世界を垣間見ることもできる。 |
人民中国インターネット版 2008年10月