咲き誇る花が彩る暮らしとこころ
|
花の咲き乱れる川岸
メコン川はおびただしい数と種類の花に囲まれている。
瀾滄江―メコン川ほどその川岸に花が咲き乱れている川は、世界的に見ても決して多くはないだろう。大メコン川流域は花の生長に最適な気候条件を備えた地域である。この地域を撮影していると、ビデオカメラにまですっかり香りが染みこんでしまったような気がする。
「千歳の梅、千尺の淵、春風は先ず雲南に吹けり」(清・阮元)
メコン川上流の瀾滄江は、平均標高2000メートルほどの雲南高原を流れている。一年中春のように暖かく、温帯植物の生長に非常に適しているため、季節を問わず花が咲いている。雲南産の温帯の花は、中国で「雲花」と呼ばれている。
瀾滄江以南のメコン川流域は、熱帯の花の天国である。ここは四季の変化がないため、一年中花が咲く。そのためメコン川流域では、熱帯ランのような世界中の熱帯地方の花ならばほとんどが生長できる。
出荷するランを揃えるトサポンさん |
ラン農園の主人、トサポンさんは、毎朝、妻が娘を学校に送ってゆくころには、すでに仕事にとりかかっている。この農園の面積は30ヘクタールと広大だが、バンコク郊外で最大というわけではない。トサポンさんのほか、7、8人のスタッフで切り盛りしている。
トサポンさんの商売はとても繁盛している。毎日のように花卉輸出業者から注文があり、この日だけでも12000本のランの注文をさばいたという。午前10時前には、夜露に濡れたままの蘭を摘み取り、規格にあわせて仕分けを済ませておかなくてはならない。10時ぴったりに、トラックがランを運び出す。栽培から摘み取り、仕分け、発送まで丁寧に扱い、気を抜くことは許されない。そんな繊細な花とともに長い年月を過ごしてきたせいであろうか、タイの人々は黙って咲いている花のごとく温和で物静かである。
ランは、タイのシンボルであるといってもいいだろう。タイのラン栽培の歴史は非常に長く、記載によると、1000余年前にはすでに各種の珍しいランを育てる専門の園芸師がいたという。
トサポンさんの家がラン栽培を始めたのは、祖父の代からである。祖父は生涯ラン農園で暮らしていたせいか、臨終の際も全身にランの香りが漂っていたという。トサポンさんは幼い頃から祖父についてラン栽培を始めた。しかし、当時は伝統的な栽培法で、規模も小さなものにすぎなかった。現在の農園は2年前に完成したばかりで、最新鋭の工場化された栽培技術を採用。一年中栽培ができ、大量生産が可能になった。彼の家の近所には、同じような規模のラン農園がほかにもあるが、いずれも工場化された栽培と管理技術を採用している。バンコクでのラン栽培は、すでに成熟した花卉工業となっている。
|
タイの切り花輸出業者の作業場 |
バンコク空港は、瀾滄江―メコン川流域最大の空路の中枢である。世界の70%以上の熱帯ランは、ここを経由して各地へ空輸される。この空港は、ランの香りあふれる世界一芳しい空港と言えるだろう。
トサポンさん一家の、ラン農園からの収入は毎年100万バーツ(1バーツ=約3円)ほど。これはバンコクのホワイトカラーの収入をはるかに超える金額である。タイでは、花の栽培で大金持ちになることも可能だ。