People's China
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咲き誇る花が彩る暮らしとこころ

 

花は神々の輝き

花に囲まれたカンボジア王宮

タイでは毎年の12月5日が「父の日」とされ、三大宗教祝祭日のひとつとされている。人々は夜明け前から、父親にハスの花を捧げようとお寺の前の広場に集まる。

仏教において、ハスの花は天国の花といわれる。お釈迦様の足元には、7つのハスの花が咲いている。菩薩はみなハスの花の上を歩いてきたといわれ、仏教を信仰する人は、ハスの花に願いをこめ、誠意をこめる。

タイでは切り花を仏塔に供える
この地域では、ほぼすべての祝祭日と儀式において、人々は花に自分の願いを託す。実際には特別な日だけでなく、この地域の人々は日々花の世界にひたっており、ひとときも花から離れられない。その意味では、人々の生活は非常に贅沢であるといえるだろう。

瀾滄江―メコン川流域で生きる男性たちにとって、花に囲まれているのは特別なことではない。花は女性だけのものではなく、女性的な気質を備えているというわけでもない。ここでは花は神々の化身であり、神には性別がないからである。

花を愛する気持ちは、この土地柄と伝統によるものであり、そのルーツは人々の仏教に対する信仰に遡る。仏教はインドに始まるが、インドには昔からハスの花を愛する風習があった。お釈迦様はカーストの平等を主張し、庶民の言葉で布教するため、仏教ははじめから人々のハスの花を愛する民俗的気風になじむよう気を配った。説法のとき、ハスの花はたびたび仏教のメタファー(隠喩)として用いられた。泥の中で育ちながら葉も花も泥に染まらない、凡俗を超越した上品なハスの花の特色は、まさに仏教の主張する現実の俗世の不浄を超越するという思想に似ている。最高の花とされるハスの花は、すべての花に神性が備わっているとされ、花は神々の化身であり、人々にその輝きをもたらすのである。

カンボジアのアンコールで、仙女に扮する少女たち
生まれてから死ぬまで、一般に広く仏教を信仰するタイの人々の一生には、常に切り花が伴う。

バンコクのシーナカリン・ウィロート大学のマミラ教授に、ある特別な家族集会のために制作した伝統的な切花芸術作品「四面仏花台」を見せてもらった。

タイにおいて、花台の制作は奥深い芸術である。1000年以上の歴史を誇るこの芸術は、インドのバラモン教と仏教の影響を受けている。マミラ教授は、18歳から40年にわたって花台の制作芸術を研究してきたタイで唯一の花台芸術学の教授である。

花台を制作中のマミラ教授
精美な花台の制作には、少なくとも三日はかかる。形だけでなく、ある種の情趣と禅意が表されるものを作らなくてはならない。制作者は明鏡止水の境地に入り、神の力を借りたかのごとく自由自在に、巧みに花びらを処理しなくてはならない。そうしないとみずみずしい花びらと葉っぱが、ばらばらになってしまうからだ。

マミラ教授の制作した「四面仏花台」は、仏教における宇宙の核心である須弥山を表すものである。仏教徒はさまざまなスタイルで須弥山を表現する。砂、木材、アンコール遺跡の壮大で堅固な石などが用いられることもある。しかしここでは、あでやかながら瞬く間にしぼんでしまう切り花で、人生の短さ、そして天国はこの世の中にはなく別の世界にあるということを暗示している。花は天国のひとつの化身にすぎないのである。

線香の煙がゆらゆらと立ちのぼる中、マミラ教授の口から、古い民謡が聞こえてきた。

「世の中のよろずの神よ、どうぞこちらへ!

霊性あるよろずの神仙よ、どうぞこちらへ!

どうぞわれわれが心をこめてつくった花台へ!

われわれの敬虔で誠実な思いを受け入れ、

あらゆる神通力をもってわれわれをお守りください」

世界中いたるところで、人々は花がもたらす喜びに、幸せな気持ちに包まれている。(李暁山=文・写真)

 

人民中国インターネット版 2009年2月27日

 

 

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