欧米人の中国についての理解は、中国人の欧米についての理解にははるかに及ばない。数年前、米国の有名なバレエ団が北京で公演したが、北京のファイブスターホテル、崑崙飯店を予約するとき、とくに聞いてきたのは「部屋にトイレがついているか」ということだった。
ベルリンに行ったとき、タクシーの運転手に「中国について何か知っていますか」と尋ねてみた。すると彼は「中国は大きくて、神秘的だ。だから具体的なことは何も知らない」と答えたのだった。
ウィーンの街角では、チラシを配っている少年が、我々中国人を見るなり「カンフー、カンフー」と叫んだ。まるで中国では、誰もが武術ができ、それぞれの腕前はなかなかのものであるかのようで、「カンフー」という言葉は中国人の代名詞のようになっていた。
私をもっとも驚かせたのは、数年前に会った一人の米国の社会科学者だった。彼は「私は少し、中国が恐ろしい」と言った。その理由は意外なことに「中国は大きいから」だった。
世界の人口は、中国を除いても50数億人である。当然、絶対多数の人々は中国に来たことがない。毎年、中国に来る外国人は延べ2200万人ぐらいだ。この数字は世界の人口の1000分の4にも達しないが、しかし一人一人が帰国した後、中国で体験したことを周囲の、少なくとも10人に話すだろう。
そのうえ、中国からは毎年、3000万人以上の人が出張や留学、観光で出国する。彼らも多くの外国人と接触する。だからますます多くの外国人が日増しに中国に関する豊富な知識を持つようになる。
そこから見れば、外国人と接触するチャンスのある人はみな、中国とは何かを世界に向けて表現しているのだ。その表現方法は、礼儀正しい言葉であったり、熱情溢れるサービスであったり、友好的な行動であったり、場合によっては好意的なまなざしであったりするが、そうしたことがみなよい反応を引き起こすことができるのである。(趙啓正=文)
趙啓正
1963年、中国科学技術大学核物理学科卒業。高級工程師などを経て1984年から中国共産党上海市委常務委員、副市長などを歴任。
1998年から国務院新聞辦公室・党中央対外宣伝辦公室主任。
2005年より全国政協外事委副主任、中国人民大学新聞学院院長。 |
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人民中国インターネット版 2009年4月21日
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