People's China
現在位置: 大メコンに生きる

手工芸がもたらすやすらぎの世界

 

あくまでも手づくりで

 孫と一緒に唐傘づくりをしている鄭さん

大メコン川流域には、あらゆるものを手作りする伝統が現在でも生きている。かつては雲南省も人の手によってつくられた質素な世界で、家屋の建造からふだん使う各種の器の製造まで、何もかも地元の人々の手仕事であった。――これは古代の生活における基本原則である。数え切れないほどの芸術の大家が民間に生まれたが、彼らは大学教授や著名な文化人というわけではなく、村のいち職人にすぎない。作品には一切、彼らの名は記されない。

雲南省の人々がつくった手工芸品には、大地と生活を詩的にとらえる伝統がある。職人たちが日常の器具や建物をつくるとき、その実用性のみを考えてつくるのではなく、詩情も織り込むよう工夫しなければならない。この地の人々にとって、芸術は博物館でしか鑑賞できない生活からかけ離れた特別な存在ではなく、生活そのものが芸術であり、芸術が生活そのものである。職人たちの建てる家屋は、棟木と梁に美しい彩色が施される。器をつくるなら、使いやすく長持ちするよう、さらに代々伝えられるようなものに仕上げる。実用性を失おうと、依然として芸術性を持ち続けている器はたくさんある。この地では、骨董とは芸術品だけでなく、より広い意味で日常用の器もさす。雲南の人はしばしば自慢げに言う。「梁一本、窓一枚、臼一台、ご飯茶碗ひとつ、すべてが芸術品である」

鄭加朝さんは、雲南省騰冲県固東鎮でその名を知られた傘職人である。82歳の鄭さんは、耳が聞こえない。奥さんに先立たれ、息子一家3人と一緒に暮らしている。

雲陽村にはかつては湿地があったので、葦や孟宗竹が生えている。この地に暮らす人々は、地元で採れる孟宗竹を使って唐傘を製作している。現在、唐傘をつくれる人は少なくなり、毎日のようにつくり続けているのは村では鄭さんだけである。彼にとって傘作りは生計のためでなく、気晴らしであり、昔をしのぶためでもある。

「これは前の世代の人々から受け継いだもの・・・私たちの代で9代目になる・・・200年の歴史・・・次の世代へと伝えつづけるもの・・・この技術は失われてはならない」

傘をつくりながら、鄭さんはいつもそんなことをつぶやいている。その小さな工房の製紙方法は1800年前、蔡倫という人物が樹皮、麻屑などで最初の紙をつくったときとほとんど変わらない。製紙の基本的な原料は山中に育つある種の木の樹皮であり、ほかの補助的な材料を入れ、20段階の製造工程を経てはじめて紙ができあがる。かつて、このような手漉き紙にはさまざまな用途があった。20年ほど前までは、習字、包装など、日常生活になくてはならないものだった。工業化にともなって紙が大量生産されるようになり、手漉き紙の需要は次第に少なくなっていった。

鄭さんの唐傘とこの小さな工房は一蓮托生である。この工房がなくなれば、鄭さんの唐傘をつくることもできなくなる。

鄭さんがつくった唐傘は石突、握柄から軸柄、親骨、受骨に至るまですべて竹でできており、金属はまったく使っていない。鄭さんの傘作りには秘訣がある。柿を使って糊状の液体を調合し、それで紙と骨を貼り合わせるというものである。こうすると、雨に濡れても傘にカビが生えずにすむ。このような唐傘は、雨や湿気の多い騰冲で非常によく売れた。

鄭さんは毎日3~4時間ほど紙傘の製作に費やす。一本の傘をつくるには、材料の選定から完成まで3、4日かかる。かつて唐傘の製作は、村の農民たちのおもな副業であり、朝農作業を始める前と夜農作業が終わった後、または農閑期の作業だった。今では農閑期になると、村の若者のほとんどは出稼ぎに行ってしまうため、傘作りの技術を学ぼうとする若者は皆無である。

この地では、唐傘は雨や日除けに役立つだけでなく、縁起ものでもあるという。漢字の「傘」の字には4つの「人」が入っており、家の中の人口が増えることを意味するため、人々に好まれる。また、地元の言葉では「紙」と「子」が同じ発音であるため、女性が結婚する際、嫁入り道具のなかに必ず2本の唐傘を入れ、「早く子供が授かりますように」というを願いをこめる風習がある。

鄭さんは傘作りに疲れると、村を散歩する。村で生まれた彼は、この村から出たことはほとんどないが、瓦一枚から木一本に至るまで、この村にあるあらゆるものを知り尽くしている。

雲陽村は村民の手で建てられた村である。昔、家を建てるとき、大工たちは泥と草の葉で壁をつくった。家屋の木の構造は鄭さんの傘作りと同様、職人がすべてを把握しており、設計図もなく、釘は一本も使わないものであった。家を建てることは、村の人にとって単なる雨風をしのぐためではなく、詩をつくるのと同じように、梁や窓に花鳥や虫、魚を彫りこんだり、門に詩歌を貼ったりする。内部の構造は、中国古代の陰陽に一致したものでなくてはならない。あらゆる材料は大地からのもので、そのスタイルも大地を象徴している。大地は生命に住処を提供するだけでなく、人生についても教えてくれる。

ナイロン製の傘が登場すると、鄭さんの唐傘は売れなくなってしまった。3、4日もかけてつくられた傘で、ナイロン傘の値段よりずっと安いにもかかわらず、ナイロンの傘よりも売れない。鄭さんの傘だけでなく、多くの伝統のある手工芸の伝承が断絶の危機に直面している。鄭さんは息子がこの技術を受け継いでくれることを望んでいる。

長男は本来、この将来性のない仕事を継ぐ気はまったくなかった。しかし、ここ数年、少し状況が変わってきた。

それまで主に雨や日除けの道具にすぎなかった唐傘ではあるが、職人たちはその芸術性も大切にしてきた。この伝統が鄭さんの唐傘を救った。唐傘の実用性が薄れてくると、その芸術性がますます顕著になった。あるとき、都市からの観光客が父のつくった唐傘を非常に気に入っていることに、鄭さんの息子は気づいた。しかも雨具としてではなく、家に大事に飾って眺めて楽しむのだという。息子はそこに唐傘の将来性を見出し、唐傘を見直したのであった。

 

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