英語の「Sorry」(ソーリー)──それはごく簡単で、発音がしやすい言葉である。しかし、どんなトラブルが起きた場合でも、簡単に「ソーリー」と言えばよいというわけではない。
文化の比較に関してある日本人が書いた文章に、こんな話があった。
ドイツで教えている日本人の教授が、自動車にぶつけられて倒れてしまった。もともと事故を引き起こした原因は、自動車の運転手の方にあるのだが、この日本の教授が何度も「ソーリー」を連発するので、ドイツの警官は、事故の責任が日本の教授にあるに違いないと誤解し、果ては、「彼は自殺しようとしたのではないか」とまで考えた、というのである。
もう一つ、こんな話がある。
2007年初め、サッカーの中国のオリンピック代表チームと英国のクイーンズ・パーク・レンジャーズがエキジビション・ゲームを行った際、双方の選手が体をぶつけ合う乱闘を起こし、中国チームの選手が重傷を負った。
その後、数時間もしないうちに中国チームは、多くのファンに向けてお詫びの書面を発表した。これはたちまちメディアによって広く伝えられたから、国際世論はほとんどみな、衝突を引き起こしたのは中国チームが悪かったからだと認識した。
しかしその後、英国の司法が介入し、悪かったのは中国の選手ではなく、英国の監督助手であることが確認された。謝ってはならないのに謝れば、叩かれ、無実の罪を着る恐れがある。
西欧の人たちの眼から見れば、簡単に「ソーリー」と言っただけだとしても、それは明確に謝罪し、過ちを認めたということになる。「温・良・恭・倹・譲」の「五徳」を備えた中国人ではあるが、こうした事件に巻き込まれたときにもっとも大切なのは、事の是非をはっきりと見分けることである。簡単に過ちを認めるようなことは、軽々しくすべきではない。
趙啓正
1963年、中国科学技術大学核物理学科卒業。高級工程師などを経て1984年から中国共産党上海市委常務委員、副市長などを歴任。
1998年から国務院新聞辦公室・党中央対外宣伝辦公室主任。
2005年より全国政協外事委主任、中国人民大学新聞学院院長。 |
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