上海万博を見るならぜひ、我が家へ!
文=段非平
上海万博の開催期間、上海では宿泊場所不足の問題が存在している。この期間の宿泊問題を解決するため、少なくない上海市民は自らの「小天地」を提供し、「万博の家」となって世界各国からの見学者を迎えている。
上海徐匯区の深沢孝さん(74歳・日本人)と沈敏利さん(56歳)の一家は、「万博の家」として最初に認定されたグループのうちの一軒である。一家は家のなかのもっとも良い部屋である書斎をゲストルームとして提供し、そこにテレビ、洋服掛けなどを加えた
|
|
深沢孝さんが用意したゲストルーム(写真・馮進) | ナリーさんとアニータさんとの記念撮影(写真・本人提供) |
ここ数日の間、一家は、日本の静岡県から訪れた、教育関係の視察旅行団の20名あまりの見学者を迎えた。見学者はみな静岡県の各中学校の先生たちであり、学生たちの修学旅行用の民宿に対する事前視察団である。深沢さんが日本人であるため、この家族は、みな日本語が流暢である。先生たちは、このような民宿であればさらに安心であると感じている。現在の「万博の家」は、将来的には外国人旅行者を迎え、学生たちのための民宿となることだろう。
この数ヶ月の間、深沢さん一家は、すでに多くの上海万博の見学者を迎え、みなの良い友人となり、特にアメリカのダラスから訪れた教職者視察団の一員であるナリーさんとアニータさんとは、毎週のようにEメールや動画で会話を交わしている。
|
|
静岡県の見学者を接待する深沢孝さんと沈敏利さん(写真・馮進) | お客のために歌う深沢孝さんと伴奏する沈敏利さん(写真・沈暁寧) |
この二人のアメリカからの見学者を迎えるため、深沢さんは、特に2曲の英語の歌を覚え、沈さんは得意料理の上海料理と日本式のお八つをこしらえた。万博見学の合間に、夫妻はナリーさんとアニータさんをバンド、田子坊、上海博物館に連れて行き、また二人が興味深々だった四川の地方劇である「変臉」を共に鑑賞した。けれど、ナリーさんとアニータさんにとって、もっとも忘れ難かったのは、夫妻の熱い気持ちだったという。
帰国の日、ナリーさんは、携帯電話を深沢さんの家に忘れた。気づいたのは空港に向かう途中で、朝5時だった。思いがけないことに、搭乗の間際になって、大汗をかき、手に携帯をもった深沢さんが目の前に現れた。帰国後、ナリーさんとアニータさんは、Eメールを夫妻に出し、そこには「お二人の家に滞在できてとても幸運でした。隅々にわたり、お二人に面倒をみていただいたことは、永遠に忘れられません」と記されていた。
|
|
銭玉梅さん(写真・沈暁寧) |
すべての「万博の家」を代表し、認定プレート授与式でスピーチも行っている徐小鵬さん(写真・本人提供) |
「万博の家」の多くが退職者であるなか、まさに働き盛り世代である徐小鵬さん(46歳)と銭玉梅さん(45歳)は、日々仕事が忙しいにも関わらず「万博の家」を申請し、徐さんは、また、すべての「万博の家」を代表し、認定プレート授与式でスピーチも行っている。
万博のゲストを迎えるため、徐さんは娘の南向きの寝室を提供し、「万博の家」としてその部屋は万博ムードが濃厚に漂っている。部屋の一角には、中国式の上着を着た万博のマスコット「海宝」が、ベットヘッドに置かれている。本棚には、万博のPR資料がきちんと置かれている。
|
|
徐小鵬さんが用意したゲストルーム(写真・馮進) |
静岡県の見学者を接待する徐小鵬さんの娘の徐维旎(写真・馮進) |
「万博の家」のプレートを獲得した銭さんは、「万博のために何か貢献したいと思っています。仕事が忙しくてもすこしでも時間ができると万博の見学者を接待したいと申請しています。万博の見学者のためのバックヤード業務をし、私たち上海人の風貌を見せることができるのは、とても光栄で幸福なことです」。上海万博の一つの窓として「万博の家」は、中国の特色を伝え、外国人ゲストに対し、独特の味わいがある上海の生活を提供している。
人民中国インターネット版 2010年9月1日