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上海にルネサンスを

 

陳言=文

上海の旧石庫門をリニューアルして、人気の的となっている上海の新天地
テレビタワーや金融センターなど高層ビルが集中する陸家嘴を歩き、また、外灘(バンド)を散策すると、上海の建物は大阪と比べてまったく遜色ないと思う。上海はグルメの面でも「食い倒れ」の大阪に負けていない。ゆったりと流れる黄浦江の河畔にそびえる高層ビルのレストランで世界各国の料理を賞味しながら、往来する貨物船、流れていく車を見下ろすと、「近代化」を満喫することができる。

ただ、大阪からはお笑い文化が日本全国に発信されているが、上海から全中国にもたらされる文化となると、まだまだ少ない。都市の歴史が千年を超える近辺の蘇州、無錫、杭州などと比べて、上海は200年にも満たない期間に発展してきた都市だ。ここで、伝統文化の香りを嗅ぎ出そうとするのは、そもそも難しい。また、近代文化を象徴する文学、思想・哲学、音楽、ファッションなどは、上海から全中国に流れていったのか、さらに最新の工業製品も、この上海から全中国、また全世界に流れていったのか、といえば、それもよくわからない。

むしろ「より良い生活」を謳う上海万博が、この都市を文化へとシフトしていく契機になるといえよう。

消えた旧市街の風景

浦東は陸家嘴だけ見れば、建物が密集しており、土地がきわめて不足しているように見えるが、ディズニーランドや飛行機工場の建設計画も織り込まれており、近隣区の合併によってどんどん面積を広げている。

上海総合保税区、上海港沿いの産業地区、陸家嘴を中心とする金融センター、また加工地区、ディズニーランドを中心とするレジャー地区などの区域設定が、考えられている。すでにできあがった陸家嘴金融センターとこれから建設されるディズニーランドを除いて、浦東が産業基地として位置づけられていることは明らかだ。

上海市政府は「二度目の創業」と言っているが、天津濱海新区、深圳経済特別区の変化をにらみながら、20年の月日を経た浦東では今後同時にいくつかの新区を設立することによって、経済成長を保っていこうとしている。

評論家の胡怡琳氏は、「2001年に、上海の第3次産業の比率は初めて5割の大台を超えたが、その後はあまり成長せず、2009年になっても6割台を突破できなかった」と嘆く。しかも、「2001年に7大産業の同時発展の青写真を上海市は描いたが、結局、不動産業だけが突出して大きな発展を遂げたが、ほかの6大産業はそれほど強い競争力を持つことができなかった」と胡氏は付け加える。第3次産業の発展が遅れる中で、第2次産業の発展も結局は箱物の建設が優先されたと思われる。

上海の旧市街の多くの建物が解体され、かわって新しい高層マンションが雨後の筍のように建設されている。古くからの上海住民にとって、子供のころの記憶に残る風景がすっかり消えてしまった。これでは新しい環境に親近感を持つのは難しいだろう。

一方、ほかの地方から来た新しい上海住民は、上海方言がわからないために、新しいマンションに住んでも、地域社会の一員には、なかなかなれないようだ。「新上海人」は、こうした環境の中では形成されにくいに違いない。

上海には新しい文化がますます必要になってきた。浦東の金融センターやディズニーランドのような遊園地などは、上海の第3次産業の比率を高めるが、文化の再建がより重要になっている。

祭りのあとに何が残る

上海では文化祭、芸術祭、サーカスなど、めまぐるしいほどの公演がある。世界各地の芸術家たちが、上海万博前からここに集まり、市民に世界文化を披露してきた。しかし、上海からの発信はどれほどあっただろうか。文化批評家の朱大可氏は、上海は「文化がからっぽのお城だ」と批評している。結局、祭りが終わると上海には何も残らない。

陳言

コラムニスト、『中国新聞週刊』主筆。1960年に生まれ、1982年に南京大学卒。中日経済関係についての記事、著書が多数。

1920年代から40年代まで、上海と言えば、文学者の魯迅、巴金、張愛玲らが輩出した。また、チャイナ・ドレス、ピアノ、プラタナス並木や国内外の憧れのファッション、器具など誇れるものがいろいろあった。

しかし、上海は80年前の文化を現在ほとんど消費し切り、それに代わる新しい文化をほとんど生み出していない。朱氏は「上海は文化資源が乏しい都市になってしまった」と嘆く。

余秋雨、衛慧、韓寒の作品は、中国国内ではそれなりの影響があったが、国外でも注目されたかといえば、魯迅ら、当時の小説家、批評家と比べると、さほどとは思えない。時の経過につれて上海の文化人は衰えてしまったらしい。余秋雨は、中国文明、世界文化について多く発言してきたが、著書が流行すると、すぐテレビに出演するようになり、歌合戦の審査員も引き受けた。そして、徐々に文明論からは遠く離れていった。小説家の衛慧の作品は、日本語にも翻訳されてはいるが、中国文学の代表作として評価されたとは聞いていない。同じく韓寒も、数多くの作品を発表したが、本当に歴史の検証に耐えられるものがあっただろうか。音楽の世界でも上海から世界にはばたくアーティストとして、すぐに名前を挙げられる人はいない。

テレビの番組に出て、すっかり有名になった趙本山さんは、東北出身だ。上海からは、趙さんほど有名な芸能人は出ていない。周立波さんの上海漫談は、このところテレビでも放映され、独特のしゃべり方、ユニークな内容などで北方の人も引き付けているが、中国全体に影響を与えていくにはまだ時間がかかりそうだ。

上海万博は、決して建物だけを市民に展示しているわけではない。むしろ世界の文化が半年間ここで展示されていると言った方が良い。万博を契機に上海は文化へのシフトを明確にして行かなければならないと思う。

 

人民中国インターネット版 2010年10月

 

 

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