ポルトガル語専攻の私がなぜ中国?
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2005年、杭州を背にした筆者。この時、すでに会社設立を決意していた |
小川善久 |
大阪外国語大学(現大阪大学)ポルトガル・ブラジル語学科卒業。株式会社リクルートに入社、旅行雑誌の仕事で初めて行った中国(北京)に感動と焦りを覚え、独学で中国語学習をスタート。2005年、自ら中国語の研修会社「株式会社漢和塾」を設立。2008年には、上海に現地法人を設立、現在は、日中往復の日々を過ごす。 |
ポルトガル・ブラジル語学科をなぜ専攻したの?と聞かれると、それも答えに困りますが、そんな私が、中国語教育の会社を設立するとは、家族・友人はおろか、私自身も想像できなかったことです。きっかけは、12年前に仕事のついでで行った北京。当時は、王府井も工事だらけで、排気ガスと埃だらけの街でしたが、何よりもそこに暮らす人々のパワーに圧倒され、失われた十年真只中の日本と比較して、「日本、負けてる!」とつぶやいたものです。
初めての旅、幸先は悪く、故宮を歩き回り、疲れたので、人力車に乗ったところ、200元もぼったくられ(当時タクシー初乗10元)、言葉もろくに通じない街角で途方にくれたものでした。翌日も万里の長城へは、現地の観光客が参加するバスツアーに参加したものですから、ガイドさんの言葉もわからず、どうなることかと思いました。が、そのバスは、中国各地からのハネムーナーばかり。即席カメラマンとして重宝され、多少人気者になった私は、言葉は通じないながらも、一行の中国人カップルの方々との楽しい一日を過ごすことができました。今から思えば、その一日がなければ、冒頭のぼったくりと孤独感で、中国が嫌いになっていたかも知れません。
そんなこともあり、帰国後、独学で中国語学習を始めました。当時の日経新聞には、日系企業の中国進出の文字がちらほら躍るようにはなっていましたが、少なくとも「グローバル化」と言うのは、欧米へのキャッチアップ的なイメージが強く、中国は安い労働力の供給元ぐらいに考えていた人のほうが多かったのではないでしょうか?made in Chinaは粗悪品?……made in Japanもそう呼ばれていたことを知らない世代には、そのような偏見も存在していたと思います。
月日は流れて、私は中国語の研修会社を設立。日本の企業でも中国語の研修を実施するところが急激に増えました。とは言え、日本人は英語が課題であったり、中国語ができなくても中国でビジネスができると思っている方も多いようです。確かに、「語学力より仕事力」は基本ですが、ビジネスパートナーや上司・部下の関係において、最低限の中国語を用意することは重要ですし、市場開拓を任される営業マンなら、一層の語学力が必要です。
私自身も、日本では中国人スタッフに囲まれながらも日本語で生活をし、語学力が向上しませんが、できる限り、中国にも身をおいて、語学はもちろん、凄まじい勢いで変化していく中国の体温を感じとりたいと思います。もちろん、日本にだけいるから語学が上達しないというのは言い訳で、中国で日本語を学ばれている方々の日本語力には驚くばかり。私どもも見習わなくてはなりません。
CHINABAL(中国を軸にした世界経済)、これは私が勝手に作ったCHINA+GLOBALの造語ですが、金融危機以降、そんな時代が一気に押し寄せてきた……。日本人にとってはある意味正念場かも知れません。
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