清朝200年に弔鐘
武昌蜂起が勝利を収めた後、各省の民衆が次々と呼応、僅か二カ月の間に、湖南、広東などの15省が次々と清朝からの独立を宣言した。内地の18省の中で清朝への忠誠を変えなかったのは甘粛、河南、直隷(中華民国初期に存在した省。現在の河北省の一部に相当する)、山東の四省だけだった。
武昌蜂起は清朝封建統治に弔鐘を打ち鳴らし、中国の急所と言える地に突破口を開き、革命の嵐を全国に燎原の火のように広げた。また清朝政府に痛烈な打撃を与え、1912年2月、宣統帝溥儀を退位に追い込んだ。これは200余年の清朝の封建統治と2000年余の封建帝政制度の終焉を意味した。武昌蜂起中に成立した湖北軍政府は共和政権の雛形となり、各省がこれに続いた。約2カ月後、孫文を大統領とする中華民国南京臨時政府が誕生、ついに清朝の腐敗統治を覆し、民主共和の新紀元を開いた。
人民中国インターネット版 2011年10月10日
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