中国人は神奈川のここに注目している
スポット①横浜中華街
日本の中の中国――祖国の雰囲気たっぷり
|
横浜の中華街で「獅子舞」を見ながら、中国の伝統行事である「春節(旧正月)」のにぎやかさを楽しむ日本人観光客 |
日本に長期滞在する中国人にとっては祖国の雰囲気を懐かしむことができる安息の場所。現在のような「食の街」になる1950年代以前は、あらゆる業種の商店がそろっており、「三把刀」といわれる中国人の仕立て屋、理髪師、料理人が活躍し、日本人の生活に新たな習慣をもたらした。川をはさんで元町商店街ができたのも、中華街で技術を学んだ日本人が独立して定住したことによる。
華僑だけでも死者が1500人余にのぼった関東大震災からの復興、第2次世界大戦の荒廃からの再建を経て、現在は世界中に数多く存在するチャイナタウンの中でも最大となり、「地元の観光産業にとって一つの大きな柱」となっている。
スポット②箱根小涌園
孫文が滞在した部屋――巴金らの揮毫展示
|
2010年5月24日、揮毫に見る「半世紀にわたる日中友好交流史」展が北京で開かれ、中国各界代表が箱根ホテル小涌園に残した書や題辞が展示された。中日友好協会名誉顧問である唐家璇前国務委員(手前)をはじめ、中日各界100人あまりの人々が開幕式に出席した(写真・段非平) |
箱根は中国人にとってあこがれの温泉地である。「山全体が温泉で、あちこちさまざまな種類の温泉が楽しめます。中には、富士山の見える温泉の店もあります」と黒岩神奈川県知事は言う。
老舗旅館の「箱根ホテル小涌園」には1961年に中国の作家代表団が訪れて貴重な書を残して以来、中国各界の代表団が訪れるたびに、揮毫を寄せている。大切に編纂され、保管された巴金、老舎、趙樸初など中国名人を数多く収録した芳名録は50冊余りにも上る。困難や危機を恐れずに中日友好を推し進めてきた中国要人の貴重な記録であり、2010年には北京で展覧会が開かれた。また箱根小涌谷の「三河屋」には、孫文が滞在した部屋が、当時のままで残されている。
スポット③藤子・F・不二雄ミュージアム
夢の「機器猫」――子ども時代へタイムスリップ
|
藤子・F・不二雄ミュージアム内の人気スポット |
タケコプターをかぶって自由に空を飛んでいたり、タイムマシンに乗って過去の世界に戻って恐竜と会ったりすることなど、「機器猫」がいれば、どんな夢でも叶えられる。中国の「80後(1980年代に生まれた世代)」たちにとっては、「機器猫」は幼いころの最大の夢だった。
「機器猫」は、猫型ロボットという意味で、人気キャラクター『ドラえもん』の中国名である。
いま、子どものころの記憶を探そうとする「80後」たちの楽園ができた。ドラえもんのテーマパークである「藤子・F・不二雄ミュージアム」が2011年9月、川崎市の多摩区にオープンした。『ドラえもん』の作者である漫画家、藤子・F・不二雄の作品原画やその関連資料が展示されているほか、『ドラえもん』をテーマとする多くの記念グッズやスペシャルフードを販売している。
夢探しにやって来る中国人入館者のため、中国語の表示と音声案内サービスも設けられている。青いレオタードを着て、まるまると太った「機器猫」に会ったとたん、言葉の限界が消えていく。
スポット④川崎
しゃぶしゃぶたれの代名詞――公害の街から大変身
|
多くの企業や工場が集中している川崎市は今、川崎産業観光の魅力を積極的にアピールしている。工場の夜景を楽しむバスツアーなどの産業観光コースは参加者に好評されている(写真提供・川崎市商業観光課) |
「しゃぶしゃぶを食べる時に、川崎がなければいけないよ!」
「川崎」の名が多くの中国人に知られるようになったのは、ある「川崎」というしゃぶしゃぶのたれの広告のおかげだった。「川崎」は中国で一時、しゃぶしゃぶのたれの代名詞のようになっていた。
しかし最近、「川崎」が中国では再び注目を集めている。今度は、日本の「川崎市」だ。
日本京浜工業地帯の中心にある川崎市は、かつて、「公害の街」とも呼ばれた。しかし、ここ十数年で、環境保護産業の発展と循環経済の推進に力を入れ、先進的な環境保護と省エネ技術でイメージを一新した。この「川崎モデル」に対して、中国は注目している。
2008年と09年、胡錦濤・中国国家主席と李長春・中国共産党中央政治局常務委員は前後して川崎市を訪問し、同市の省エネ・環境保護産業を視察した。また、安徽省蕪湖市、広東省東莞市などの中国地方政府の訪日団も川崎を訪れ、環境保護の先進的な理念を学んだ。
人民中国インターネット版 2012年2月29日