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600年前の古い伝統が残る屯堡

 

張春侠=文

貴州省には、ちょっと変わった漢族の一群――「屯堡人」が住んでいる。

貴州市内から出発して高速道路を西に60キロメートルほど行くと、さらに西に進めば雲南の喉もとに行き着く地――安順市天龍屯堡古鎮に着く。たった一時間ちょっとの道程であるが、そこには江南風の小さな橋が小川に架かり、人々は明代からの服装を身に着け、独特の石造りの建物で暮らす。一歩この古鎮に足を踏み入れると、まるで明代にタイムスリップしたかのような錯覚をおこしてしまう。

現地の人が「これがこの世に一つしかない『屯堡文化』なのです」と説明してくれたが、「屯堡文化」とはどんな文化なのだろう。

600年の歴史と地劇などを通して、屯堡人の文化は貴州の大地にしっかり根を下ろしている(姜軍利)

明代駐屯軍の後裔

屯堡人は明代の駐屯軍の後裔である。史書によると、明朝初年、雲南に立てこもり地方部族を率いて反乱を繰り返した梁王に、朱元璋(明の太祖)は何度も雲南平定戦争を仕掛けた。明の洪武14年(1381年)、朱元璋は30万の大軍を貴州経由で西へ進ませ雲南に迫った。まず普定(現在の安順市)を攻め落とした後、一部の部隊を安順の平壩一帯に駐屯させて守らせ、練兵と開墾にあたらせた。軍糧の供給と兵站の建設のためである。戦争終結後、駐屯部隊は地元で所帯をもち、この土地に住み着いた。彼らは兵であり民でもあった。田を耕し野菜を植え、江南から家族を呼び寄せ、子を産み育て、自給自足の生活を送った。このことを知った朱元璋は、安徽、江蘇、江西、浙江などの江南の地から、平民や罪を犯した役人など20万人を雲南・貴州の地に移したため、一つまた一つと漢族の村が増えていったのである。

現地では、軍隊の駐屯・定住地を「屯」と称し、移民の居住地を「堡」と称したので、彼らの後裔は「屯堡人」と呼ばれるようになった。屯堡村落には軍事色が強い屯、堡、哨、所などの名が付けられ、安順市の周辺に、大小の村落が300以上、計30万人以上が分散して居住している。

600年以上前から屯堡人はここで繁栄してきた。彼らは現地の民族と同化することなく、言語、服飾、民家建築、娯楽などは、明代の江南の漢族の習俗を踏襲し、独特の「屯堡文化」が形成されたのである。

総スレート造りの村

天台山伍龍寺(蘇瀛)

「石の屋根に石の部屋、石の町並みと石の壁、石のふみ臼と石のひき臼、石の井戸枠と石の甕」こう言った口調のよいことばが屯堡村の建築特色を言い表している。天龍屯堡の中に入ると、見るもの触るものすべてが石である。村の塀、家屋、壁や囲いまで、どれもがぎっしり重ねた灰色のスレート(石板)でできていて、家々の屋根にもスレートを敷き詰めている。

屯堡人は防御を砦作りの基本としていた。黒い石板を敷いた路地がまるで長く続く隙間のない蜘蛛の巣さながら、村の中央の広場から輻射するように伸びている。路地の両端の門はほとんどが円形につくられているが、これはそれぞれの路地が単独で防御でき、互いに連携すれば全体で別の防御もできるという軍事上の必要からきているのである。

天龍古鎮をそぞろ歩くと、ここの建築が混じりけのない長江・淮河地域の風格を持っていることを発見できるし、はっきりと文治要塞の痕跡を残していることが分かる。30万人の水郷大軍が江南から持ち込んだ黒レンガで造られた四合院、これがスレートを積み上げた造りの四合院に変わり、院内の母屋もまた、スレート製に変わっている。ここでは家々が隙間なくぎっしりと並び、幅広の石を積み重ねた屋敷の周囲の塀にはたくさんの矢狭間や弩狭間がうがたれている。

カルスト山地なので、どこでも天然の片岩板材(スレート)を切り出すことができるため、石板造りの家屋は珍しくはない。外から見ると粗野な感じがする屯堡の石板の家ではあるが、内部には華麗で細やかな江南の風格が漂う。屯堡の小さな屋敷は三合院か四合院で、門は彫刻を施した垂花門、屋敷内には精緻な彫刻図案があふれ、精緻な彫刻を施した石の柱や格子窓が特徴的で、下水道の入り口にさえ龍や鳳凰、蛙、蝶、蝙蝠など各種の図案が施されている。600年前に江南からもたらされた木彫や石彫の芸術が見事に保存されているのである。

600年前の「鳳陽漢装」

屯堡の女性の服飾には明代の「鳳陽漢装」の原型がいまも残っている(柏映泉)
屯堡の女性は屯堡文化のもっとも忠実な守護者である。天龍屯堡に一歩足を踏み入れると女性たちの服装がいやでも目に飛び込んでくる。路上で呼び売りする小物売りであろうと、門の傍らで涼んでいる老婦人であろうと、誰もが袖広のゆったりとした右開襟の長袍を身に着けており、その色はほとんどが空色か濃紺で、襟元には色とりどりの縁飾りが縫い取りされている。長袍の上に短いスカートをはき、腰には色鮮やかなシルクの帯。帯は体の後ろで結んで垂らし、風に揺れて独特の趣を演出する。

現地の老人の話によると、屯堡の女性の服装は明の太祖・朱元璋の夫人「馬大脚」からの伝承で、俗に「鳳陽漢装」と呼ばれる。このような服装は安徽省から伝わったとされるが、安徽省ではかなり以前に失われ、屯堡で完全な形のまま保存されてきた。

この種の衣装は祝祭日に晴れ着として着るだけではなく、日常、作業中でも着る。屯堡の女性、陳忠秀さんは「農作業をするときは、裾をたくし上げ、青い布で腰まわりにくくりつければ、大丈夫。このような服は着ていると気持ちもすっきりし、傍目にも綺麗に見えますから」とのこと。「二本の青い腰帯は長さが12尺。一年12カ月、月々平安という意味が込められています。腰帯垂の数にもこだわりがあって、八の倍数がもっとも縁起がよいのですよ」と話してくれた。

屯堡の女性の髪型も非常に変わっている。未婚の娘は後頭部で一本のお下げに結ぶ。結婚後は眉を剃り、「三綹頭」に梳く。一束の髪を耳の後ろから梳き、一本の長い辮状にし、後頭部でぐるぐるとお碗の大きさの髷に巻く。また左右それぞれ耳を隠すように一束垂らし、その先を再びぐるりと巻いて真ん中で絞り込み、銀または玉の長簪を挿す。この種の「前髪は高く束ね、鳳凰の頭に似た」髪型は、「鳳陽頭」と呼ばれている。若い既婚の女性は頭に白いリボンを結んでいる。「共白髪」を意味する。年長者は青いリボンを結ぶ。

服飾が現地の他の人々と違うため、屯堡人はかつては「鳳頭鶏」「鳳頭苗」と呼ばれていた。しかし屯堡人は「老漢人(古い漢人)」を自称し、現地人と結婚することは稀で、中原文化の優越感を持ち続けてきたのである。

屯堡の女性は古くから朱元璋の最初の妻「大脚馬皇后」にならって纏足にはせず、ゲートルを巻く習慣があった。周囲の少数民族や後に貴州に移り住んだ漢族からは「大脚女」(大足)とそしり笑われた。彼女たちが履いている靴も型や様式が古い。靴の先からの両側の縁を色糸で刺繍し、二層の白布を合わせて靴の両の側を作る。屯堡人はこれを「鳳頭靴」「鳳陽靴」と呼んでいる。

地劇――「中国戯劇の生きた化石」

「封神演義」の地劇で使われる面のフルセット(王漢平)

天龍屯堡に行ったら、是が非でも見て欲しいのはここの「地劇」だ。55歳の沈福馨さんは、根っからの安順人である。子どものころ初めて地劇を見た時のショッキングな体験を今でもはっきり覚えている。「あの日、私は町の東門の外で遊んでいました。その時突然お面をつけた人が何人か踊っているのを見たのです。様子は怪しげで恐ろしかった。大人が言うには、これは『跳神』(神が乗り移った踊り)をしているところだとのことでした」

「跳神」は地劇の伝統的な言い方である。地劇は、顔に面を着け、下半身に色つきのスカート状のものをまとい、銅鑼太鼓の音に合わせて踊ったり、立ち回りをしたりする伝統的な戯劇である。上演する場所は舞台ではなく、山村の広場や山の前の傾斜地の露天で行われるため、「地劇」あるいは「跳地劇」または「跳劇」と言われたのである。地劇は、「軍儺」に起源があり、古代に軍隊が出征する際、兵士を奮い立たせ、敵を震え上がらせるための一種の儺(おにやらい)であった。儺(ヌオ)は、中国特有の古い文化であり、すでに3000年前の商(殷)代にあったとされる。地劇は、儺文化の一種の継承と発展であり、完全な形で保存されているため、「中国戯劇の生きた化石」と称えられているのである。

地劇は、屯堡人にとっては精神的なシンボルであり、安順を中心とした屯堡文化圏に属する屯堡村には、少し大きな村であればみな地劇があり、大きな集落には少なくとも4、5カ所の稽古場がある。専門家の調査によれば、安順屯堡圏には全部で300以上の稽古場あるとされる。いかに地劇が盛んであるかが分かろうというものである。

演じる者は普段は塀際にうずくまって日向ぼっこをしている無口な農夫であっても、いったん地劇の面を着けると、たちまち人が変わったように刀や槍を振り回して舞い、扇を高く振り上げる。その動作、振る舞いの何と垢抜けていることか。

「面」は地劇の魂である。これがなければ地劇は踊れない。チョウジやポプラの材を彫って作るが、素朴で荒々しい。色分けは京劇と似ていて、頬が白いのは勇ましい様子、赤い面は忠誠、黒い面は勇猛、白い面は悪賢さ、黄色い面は表している。屯堡人は兵士の後裔であるから、地劇もまた忠君愛国がテーマである。したがって地劇の中には民衆が官に立ち向かう『水滸伝』や恋人同士が睦言を交わす『紅楼夢』のような演目は、永遠に有り得ない。ただ一年また一年と『三国志演義』や『楊家将』などの忠義の物語を繰り返し演じるだけなのである。

天龍屯堡には600年の歴史を持つ建物もある(王漢平)

 

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