民間交流「日中学生会議」とは
日本と中国の学生の相互理解を深めるために、1987年に始まった民間交流「日中学生会議」が今年25周年を迎えました。私も1988年に参加しました。このとき、約2週間にわたり、北京と武漢を訪れ、北京大学と清華大学、武漢音楽学院の大学院生と交流を行いましたが、当時はまだ中国側のガードが堅く、多くの事務的な苦労がありました。そんな苦労を乗り越えた私たち参加者はお互いに日本語と中国語を話すことのできない中で、身振り手振り、筆談で自分の考えていることを必至に伝えようとしたものです。
その後、日中学生会議と直接関わることはありませんでしたが、今年8月、OBOGが北京に集まり25周年記念「大総会」が開かれ、私も参加しました。参加者の中には学生会議以来の北京訪問という方もいました。思い出話に花を咲かせたことは言うまでもありませんが、参加時の印象、学生会議の社会的貢献をテーマにパネルディスカッション、今年のメンバーも加えたグループ討議を行いました。こうした交流のスタイルは25年間変わっていません。1つの伝統が築かれているように思いました。
日中学生会議に参加して会得したこと
現在の日中学生会議が当時と大きく様変わりしたところもありました。中国側メンバーも学部生が多いこと、双方に日本語と中国語を話すことができる学生が多いこと、隔年で相互訪問を果たしていること。これらは、私が参加した1988年の交流では考えられなかったことで、25年のあいだに中国の学生の経済状況が変わったこと、そして双方の日中関係への関心の高まりが反映されています。もちろん、歴代メンバーの不断の努力のたまものであることは言うまでもありません。
日中学生会議という日中民間交流に参加した私は、今は現実の問題を扱う中国研究に携わっています。日中関係が安定しているときは何をやるにも何もやらなくてもうまくいきます。しかし、日中間がこじれてしまったとき、どう対処するか。国交正常化から40年が経った今もいい方法は見つかっていないと思います。それでは民間交流の積み重ねが問題解決のために役に立つのか。これもいつも考えさせられることですが、実は意見が分かれるところです。現在の日中関係は政治分野、経済分野で摩擦が少なくなく、現実には「即効薬」が求められています。しかし、学生の相互理解、そして民間交流は「即効薬」にはなりません。全く別の次元のものだと割り切らなければならない。これは私の経験です。
今後の日中民間交流に期待
民間交流はその共通の事柄、例えば音楽やスポーツを高めるために行われるのが本来の目的で、日中学生会議の場合は参加者が学生という立場で生き方や将来設計などを語り合い、自らを高めていくことでしょう。そこでは「日中」は副次的なものにすぎません。むしろ結果的にその交流が個人的な中国理解、または日本理解に寄与すれば大成功です。これからの日中学生会議にも、そしてその他の日中民間交流にも、リラックスした交流を期待したいと思います。
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