太極拳の発祥地 陳家溝(3)
「陳家溝太極拳学校」 |
陳家溝は黄河と沁河による沖積平野にある。河水の浸食により、村にはかつて大きさの異なる13の溝(谷間)があったが、長い年月の間にしだいに形を変え、現在は東側と西側の2つの溝しか残っていない。
早朝、溝の中に入ると、薄い霧が漂い、草木が青々と茂っていて、すがすがしいことこの上ない。溝の周辺には民家が立ち並び、のどかな光景が広がる。溝の中央には道が1本あって、かつては村に入る唯一のルートだったそうだ。
道に沿って歩いてゆくと、石橋が見えた。橋の両側にはそれぞれ、太極拳の練習場がある。毎朝、老若男女が熱心に技を磨き、各種の器具を使う音が辺りに響く。
太極拳を練習中の一人の青年に話しかけてみた。彼はよその土地の出身で、陳家溝の小学校で算数を教えているという。太極拳ができないとこの村には受け入れてもらえないと考え、習い始めた。勤め先の学校でも体育の授業は太極拳を中心に行う。学校の隣にある武術学校の教師がよくやってきて、子どもたちに太極拳を教えてくれるそうだ。反対に、小学校の先生たちが武術学校の生徒に一般科目を教えることもある。
中国初の正規の太極拳学校
牌坊(鳥居形の建物)と陳氏祠堂の間に建ち、村のもっとも目立つ場所にある「陳家溝太極拳学校」は、中国初の正規の太極拳学校だ。国内および国際的な太極拳の交流が行われる重要な場所でもある。1981年から正式に生徒の募集を開始し、同年、日本太極拳協会の訪中団も受け入れた。校内には、同協会の三浦英夫理事長が1986年に建てた記念碑がある。
推手の練習をしていた東北地方から来たという夫婦に話を聞いた。定年後、2人でいっしょに陳家溝へやって来て、太極拳の練習を始めたという。ここの雰囲気が気に入り、もう半年も故郷に帰っていない。体調も以前よりよくなったように感じると話す。
入り口で、北京から来たある男性が、門番の人に推手の相手をしてくれと必死に頼んでいた。「この方をあまく見てはいけませんよ。陳財旺さんとおっしゃって、年齢は63歳、1970年に全国太極拳推手大会で優勝したことがあるんですから」と話す。陳家溝はまさに、傑出した人物が人知れず隠れているところなのだ。
現在、学校を経営しているのは陳式太極拳の11代目の継承者である陳小旺さん。弟の陳小星さんが校長を務める。教師は、陳軍さん、陳自強さんなど国際大会や全国大会で優勝経験がある大家十数人だ。
生徒は全国各地から集まり、全部で300人近く。わずか3、4歳の幼児もいれば、60代の高齢者もいる。小中学生や高校生に対しては一般科目の授業も設けているという。毎日のスケジュールは表の通りだ。
教師の陳自強さん(31歳)は副校長でもある。経営者の陳小旺さんの甥、校長の陳小星さんの息子にあたる。幼い頃から父親や伯父の指導を受け、「老架」や「新架」に長じているだけでなく、各種の器具を使った拳法や推手も得意だ。
西安体育学院で本科生として理論や人体運動学を学んだことがあるが、本を読むばかりの勉強方法に慣れず、すぐに退学した。太極拳は言葉で伝え、体で覚える必要があり、大家のもとで心から理解しなければ、その真髄をきわめることはできないと考えたからだ。
たとえば推手は、大家と直接手合わせをしてこそ、奥義をより深く理解することができる。そこで今は、毎日各クラスを見てまわり、生徒たちの動きを正したり、自ら手本を示したりしている。
世界にはばたく太極拳
陳家溝と陳家溝が属する温県の県城には、陳家溝出身の人が設立した武術学校が20数校ある。とくに、傑出した技を身につけ「四大金剛」と呼ばれる陳小旺さん、陳正雷さん、王西安さん、朱天才さんはそれぞれの自分の学校を設立し、世界中にその技を伝授している。
陳正雷さんが設立した「河南陳正雷太極文化有限公司」は、米国、日本、韓国など20あまりの国や地域に数十カ所のトレーニングセンターを開設し、国内(香港と台湾地区を含む)には百カ所以上の支部を設けている。王西安さんの「温県陳家溝武術院」には教師が23人在籍し、生徒は200人以上。20あまりの国や地域の人々が学びにやって来る。朱天才さんが院長を務める「陳家溝天才太極院」は、国外22カ国に40カ所のトレーニングセンターを設置。シンガポールのトレーニングセンターは、2005年12月に第1回シンガポール国際陳式太極拳交流大会を成功させた。
温県には、太極拳の教授を生業とする人が200人あまりいる。太極拳を学ぶために陳家溝を訪れる人は年間数千人におよび、外国人も少なくない。中国の国粋である太極拳は、彼らを通して世界中に広がっている。(鄭福臻 魯忠民=文・写真)
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